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小野奈菜 インタビュー
試練を強さに変えて。不屈のDFが歩んだ軌跡

2小野奈菜

ノジマステラ神奈川相模原の守備を支える小野奈菜。所属チームの解散や400日にも及ぶ長期離脱といった数々の試練を「自らを高める糧」へと変え、よりしなやかに、よりタフになって戦いの舞台へ戻ってきた。逆境さえも成長のエネルギーに変え、再び力強く走り出した彼女が、これまでのキャリアの軌跡と、復帰を果たした今見据える未来への誓いを語る。

「海外の選手との対戦は貴重な経験になりました」

1999年、神奈川県茅ヶ崎市出身。小野奈菜は二人の兄の影響を受け、幼稚園の年長からサッカーを始める。兄たちも通う「SCH FC」のスクールに入り、その第一歩を踏み出した。

「当時は茅ヶ崎にSCHのスクールがあったので、まずはそこに通い始めたんです。小3か小4の頃にセレクションに合格してからは、横浜まで通うようになり、そこでは8人制の試合に出ることもありました」

長男は日大藤沢、次男は鹿島学園へ。二人の兄は強豪校のサッカー部に入り、ボールを追い続けた。

「幼い頃は兄の試合によく連れて行かれましたが、試合はあまり見ずに、近くの公園で遊んでばかりいましたね(笑)。でも、さすがに鹿島学園が高校選手権に出場したときは、応援しに行きました」

幼稚園から小学校卒業までの7年間をSCHで過ごす。そこで磨かれた基礎は、現在のプレースタイルを形作る原点となった。

「小学生の頃はドリブル練習を重視するチームが多いと思いますが、SCHは『止める・蹴る』の基礎や、パスをつなぐことを大切にするチームでした。そこで磨いた技術や判断力は、今のプレーにも生きています」

2012年、中学進学と同時に日テレ・メニーナへ。高校生になると日テレ・ベレーザで、なでしこリーグカップの舞台を踏んだ。高2で2試合、高3で5試合に出場し、着実に経験を重ねた。錚々たる顔ぶれに囲まれた当時を、小野はどこまでも謙虚に振り返る。

「当時のベレーザには日本代表選手がそろっていたので、代表活動で主力がいないときに、自分のような若手が試合に出させてもらっていました。だから、自分の実力でチャンスをつかみ取ったという感覚はあまりないんです」

控えめな自己評価の一方で、ベレーザの選手としてピッチに立った経験は、彼女の中に確かな自信を刻んだ。

「いざ試合に入ると、周りの選手に助けられてすごくプレーしやすかったですし、『自分も意外とできるな』という感覚もありました。でも、それは周りのレベルが高かったから。パスが得意な自分の強みを、周りがうまく引き出してくれました」

トップチームで刺激を受ける日々の中で、特に二人の存在が心に深く残っている。

「一人は、同じポジションだったイワシさん(岩清水梓)です。球際の強さはもちろん、コーチングも的確で指示がはっきりしていました。もう一人は長谷川唯さん(マンチェスター・シティWFC)です。自分はサイドバックで出ることが多かったのですが、デビュー戦で左サイドの縦関係を組んだときのやりやすさは、今でもはっきり覚えています」

ベレーザで揉まれた経験は、世代別日本代表への道へとつながっていく。2016年、「FIFA U-17女子ワールドカップ ヨルダン」に出場。そこで彼女は、未知の世界を肌で知ることになる。

「U-17の頃は試合に絡むことも多く、海外の選手との対戦は貴重な経験になりました。海外には、たとえ荒削りでも圧倒的なフィジカルやスピードを持つ選手がたくさんいますし、想像以上のパワーでこちらに向かってきます。準備や予測の質が大切だと感じさせられました」

「悩んだ末に、大学に行くことに決めたんです」

2018年、高校卒業を前に大きな決断を下す。ベレーザへの昇格も可能だったが、選んだのは神奈川大学への進学という道だった。そこには、指導者からの助言と、自身の将来を見据えた冷静な判断があった。

「上がることもできましたが、あえて進学を選びました。メニーナの監督から、『大学の4年間で試合に出続けて経験を積んだほうがいいんじゃないか』とアドバイスをいただいたんです。当時のベレーザはすごい選手ばかりで、試合に出るのは簡単ではありませんでした。悩んだ末に、大学に行くことに決めたんです」

しかし、大学1年生で挑んだ「FIFA U-20女子ワールドカップ フランス」では、一転して苦い挫折を味わうことになる。

「全然試合に絡めなかったのが、本当に悔しかったです。周りを見渡せばベレーザやレッズで活躍する選手ばかりで、大学所属は自分一人だけ。もっと頑張らなければと思いましたし、いい経験になりました」

大学では、新たな役割にも挑戦した。それまで一貫してDFを務めてきたが、監督の意向によりボランチへとコンバートされたのだ。

「たまにセンターバックのときもありましたが、基本的にはボランチでした。それまで全く経験がなかったので、最初はめちゃくちゃ難しかったです。DFなら常に前向きでボールを持てますが、ボランチは相手を背負って受ける場面が多くなります。うまく前を向けずに下げてしまったり、次のプランを描けずに焦ってしまったり。とにかく苦戦の連続でした」

大学3年時には2020年JFA・なでしこリーグ特別指定選手として大和シルフィードに加入。ケガの影響で出場機会は限られたものの、なでしこリーグ2部の舞台で手応えを得た。

「出場したのは後半途中からの1試合だけ、ポジションはボランチでした。今でも覚えているのは、シュートを打てそうな場面。後ろから『スルー!』という味方の声が聞こえたのでボールを譲りましたが、あとになって『自分で打っておけばよかった』と悔やみました。ただ、『なでしこリーグでも十分にやっていける』という手応えはつかめましたね」

「『もう少しだけ頑張ってみなよ』と言ってあげたい」

大学卒業を控え、プロとしての第一歩を刻もうとした彼女を待っていたのは、想像もしなかった現実だった。

「最初はWEリーグでプレーすることしか考えていませんでした。ベレーザへの昇格を断って大学へ進んだのも、4年後には必ずトップリーグの舞台に立つつもりだったからです。4年生になり、あるチームの練習に参加して手応えも感じていたのですが、残念ながら落ちてしまいました。サッカーを辞める選択肢はありませんでしたが、『もうWEリーグを目指さなくていいや』という気持ちになってしまったんです」

他にも練習に参加していたチームはあったが、自ら断りを入れ、なでしこリーグのチームへの加入を模索し始める。そんな中、アンジュヴィオレ広島が選手を探していることを知り、新天地での再出発を決めた。

「昔の自分はメンタルが弱かったなと思います。結果的に今、ノジマステラに呼んでもらえたので、あの苦い経験も今では糧にできていますが、当時の自分には『もう少しだけ頑張ってみなよ』と言ってあげたいですね」

2022年1月、なでしこリーグ1部のアンジュヴィオレ広島に加入。背番号4を背負い、センターバックとしてプレーした。しかし8月、クラブは解散という苦渋の決断を下す。

「なかなか勝つことができず、チームとしても厳しい状況が続いていました。『とにかく自分をアピールするしかない』と常に考えていましたね」

2022年12月、地元神奈川のニッパツ横浜FCシーガルズが小野の加入を発表する。背番号17を付け、なでしこリーグ1部の舞台で戦い、勝利の味を再び噛み締めることとなる。

「いくつかいただいたオファーの中から、練習に参加した上でシーガルズを選びました。広島では苦しい時期が続きましたが、シーガルズでは開幕から5連勝ができて、勝つことの楽しさをあらためて感じることができて良かったです」

「いつか絶対に戻れると信じていました」

2023年9月、ノジマステラ神奈川相模原への完全移籍を果たす。1年目の2023-24シーズン、背番号20を背負い、リーグ戦全22試合に出場。フル稼働の活躍を見せたが、チームは勝ち星に恵まれず、苦しい戦いが続いた。

「個人としてはWEリーグで試合に出続け、経験が積むことができて、楽しさを感じていました。ただ、チームがなかなか勝てない状況はつらかったですし、複雑な気持ちでしたね」

2年目の2024-25シーズン、背番号を2へと変更。再起を期した矢先の2024年10月、WEリーグカップのマイナビ仙台レディース戦で右膝を負傷。長期離脱を余儀なくされた。

「これまでケガとは無縁だったので、周りからも驚かれました。自分でも『まさか』という感じでしたが、意外と冷静で『8カ月後には戻れる』と思っていました。ただ、病院の部屋を出たときに親の顔を見たら、感情があふれそうになって......。もちろん大変なこともありましたが、もともと気持ちの浮き沈みが少ないほうなので、想像していたよりは淡々とリハビリに向き合えた気がします」

彼女がピッチを離れている間も、ベンチには常に背番号2のユニフォームが掲げられていた。仲間たちの存在が、リハビリ期間を支える大きな糧となった。

「いつか絶対に戻れると信じていました。一番きつかった時期は、(築地)育と一緒にバイクをこいだりして、励まし合っていましたね。意外とあっという間で、気づいたら復帰の日を迎えていた、という感覚です」

戦いの場を離れれば、家族と過ごす穏やかなひとときが、心身を解きほぐす貴重なリフレッシュの時間となる。

「父の休みが月曜日なので、オフが重なると両親と3人でよく出かけています。目的地を決めずにドライブをしたり、おいしいご飯屋さんを探したり。この前は三崎までマグロを食べに行きました。お寿司が大好きで、特に好きなのはつぶ貝です(笑)」

3年目の2025-26シーズン。2025年11月、アウェイで三菱重工浦和レッズレディースと対戦。試合終了間際、小野に出場の機会が訪れる。公式戦のピッチに立ったのは、実に400日ぶりのことだった。

「残り時間が少なかったので、出られるうれしさよりも『一度もボールに触れないまま終わったら恥ずかしいな』という不安のほうが大きくて(笑)。でも、ピッチに入ったときにチームメートがハイタッチをしてくれたり、『おかえり』と声をかけてくれたりしたことが、すごくうれしかったです」

1年以上に及ぶ長く険しいリハビリを乗り越え、小野は再び戦いの最前線へと帰ってきた。

「まずは試合に出る時間を増やしていくことが第一です。復帰してからの出場時間はまだわずかなので、これから徐々にプレー時間を伸ばしていきたいです。最終的にはスタメンに定着し、90分間戦い抜く姿を皆さんに見せられるように頑張ります」

プロフィール

小野 奈菜
ONO Nana

1999年5月1日生まれ、神奈川県茅ヶ崎市出身
SCH.FC - 日テレ・メニーナ - 神奈川大 - アンジュヴィオレ広島 - ニッパツ横浜FCシーガルズ - ノジマステラ神奈川相模原(2023/24シーズン~)

(文=大西徹・株式会社アトランテ)