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風間 優華インタビュー
重ねた挑戦の先で見つけたGKとしての誇り

21風間優華

175センチの長身を生かしたハイボール処理と気迫あふれるシュートストップでゴールマウスを守り抜く。ノジマステラ神奈川相模原の最後方を支える風間優華の歩みは、決して平坦な道ばかりではなかった。数々の葛藤を乗り越えてプロの舞台をつかみ取った背番号21の足跡を振り返る。

「足より手を使うほうが自分には合っていました」

自然豊かな長野県信濃町。1999年にこの地で生まれた風間は、幼少期を松本市で過ごし、保育園年中から小学4年生までは神奈川県横須賀市で暮らしていた。彼女が最初に夢中になったスポーツは、サッカーではなく軟式野球だったという。

「兄が2人とも野球をやっていて、自然とついていくようになりました。小2から横須賀の武山テントルズ(現・武山スピリッツ)というチームで軟式野球を始めたんです。女子は自分ともう一人くらいで、ファーストやピッチャー、最後はライトといろいろ守りましたが、あまりセンスはなかったですね(笑)。当時は横浜ベイスターズ(現・横浜DeNAベイスターズ)が好きで家族でよく観戦に行っていましたし、サッカーとの接点は全くなくて野球一筋でした」

小学5年生で長野県塩尻市に引っ越してからも野球を続けていたが、塩尻市立塩尻中学校への進学を機に思わぬ転機が訪れる。当初は中学の野球部に入るつもりだったが、練習見学で先輩たちの雰囲気に圧倒され、入部を躊躇してしまう。そんなときに手を差し伸べてくれたのが友人だった。

「昔からサッカーをしていた仲の良い女の子に『やってみない?』と誘われたんです。男子サッカー部には女子の先輩もいて入りやすそうだったので、思い切って入部を決めました。足でボールを扱った経験がなかったのでゼロからのスタートでしたが、ボールを蹴るのがだんだん楽しくなっていきましたね」

両親が170センチ台、2人の兄は180センチ台という長身一家に育った風間は、中学時代に背が一気に約18センチも伸び、3年生の頃にはすでに170センチ近くに達していたという。そんな彼女に、運命の出会いが訪れる。急激な成長に伴う膝の痛みを和らげるために通っていた接骨院の先生が、地元クラブ「アンテロープ塩尻BelFiore」の監督を務めていたのだ。

「先生から『背もあるしGKやってみれば?』とずっと言われていて、中3の秋に部活を引退してからアンテロープに入りました。部活ではFWでしたが、その頃からずっとGKですね。実際にチームに入ってみると、足より手を使うほうが自分には合っていてすごく楽しかった。ボールを蹴られる怖さは少しありましたが、体を倒して受け身を取るのも面白かったです」

「あの悔しさがあったからこそ『絶対に負けない』と思いました」

GKの魅力に気付かされた風間は、2015年に東海大学付属諏訪高校へ進学する。そこでGKとしての挑戦が本格的に始まった。

「高校の3年間は自分の中でとても大きかったです。GKを本格的に始めたのは高校からだったので、最初はキャッチもまともにできないくらい下手でした。高1のときは女子サッカー部にGKが自分一人しかいなかったので、週に1回、男子サッカー部の練習に参加していたんです。身近なところにお手本となる人たちがたくさんいて、いろんなことを学ばせてもらいました」

しかし高校2年の秋、彼女の記憶に深く刻まれる出来事が起こる。選手権の長野県大会決勝、ライバル・松商学園との大一番で、風間はベンチからピッチを見つめていた。

「夏の大会まではスタメンで出ていたのですが、一つ下に入ってきた後輩にポジションを奪われてしまって。決勝では先制されましたが同点に追いつき、監督から『PK戦になったら出すから』と言われてアップをしていたんです。でも、終了間際に勝ち越しゴールを決められて負けてしまいました。お世話になった3年生の先輩たちとの最後の試合に出られず本当に悔しかった。でも、あの悔しさがあったからこそ『絶対に負けない』と思いました。あの試合を経験できて、本当に良かったです」

屈辱をバネに、土日に開催される小中学生向けのクリニックにも自ら足を運び、運営の手伝いをしながら地道な努力を続けた。高校2年時の長野国体キャンプを機にAC長野パルセイロ・レディースの練習にも呼ばれるなど注目を集める中、高校3年時には正守護神の座を奪還する。その後も立ち止まることなく卒業後の進路を模索し続けていた。

「大学で何か学びたいことがあるわけではなかったので、親に学費を出してもらって大学でサッカーを続けるのは違うなと思ったんです。少しでも収入を得ながらサッカーができるクラブチームを探して、大和シルフィードなどの練習にも参加しました。実は父が自衛官なので、サッカーがダメなら自衛隊に入ろうと思い、試験を受けて合格していたんです。でも、ちょうどクリスマスの時期にパルセイロから『育成枠として獲得したい』と連絡をいただいて、本当にびっくりしましたし、すごくうれしかったですね」

獲得に尽力したのは、当時パルセイロの強化部にいた小笠原唯志氏(現・ノジマステラ監督)だった。自衛官への道から一転、風間は地元のクラブへと飛び込んだ。

「本気で向き合って教えていただき、感謝しかありません」

晴れてパルセイロに加入した風間だったが、待ち受けていたのは厳しい現実だった。

「最初の2年間は、強化部のオガさん(2年目からはヘッドコーチ)やGKコーチ、監督から毎日のように厳しい指導を受けていました。サッカーを仕事にしている選手たちの中に入ったら、技術も理解度も全く足りていなかったんです。サッカーのことはもちろん、日常的なところからいろいろと教えていただきました。当時は毎日つらくて泣いてばかりいましたが、あの2年間があったからこそ今の自分がある。一番年下で何も分からなかった自分に本気で向き合って教えていただき、感謝しかありません」

パルセイロ時代には、国民体育大会に長野県代表として出場し、プレナスなでしこリーグカップの日テレ・ベレーザ戦にも出場する機会を得た。その後、実戦経験を積むため、2020年に当時山梨県リーグのFCふじざくら山梨へ。2年間の期限付き移籍という道を選んだ。

「ふじざくらでの2年間はとても楽しかったです。環境がガラッと変わり、仕事ではゴルフ場のキャディとして働いて、冬はスキーのインストラクターをしながらサッカーをしていました。一応、スキーのバッジは持っています(笑)。仕事をしてから練習をしていたので体力的な疲労は大きかったですが、試合に絡む機会も増えて、すごく充実した時間でした」

2022年にパルセイロへ復帰し、ホクト本社での事務職をこなしながら日々の練習に向き合っていた。しかしGKという過酷なポジション争いの中で思うように出場機会を得られず、2024年12月、伊賀FCくノ一三重への完全移籍が発表された。

「試合に出て成長したいという思いで伊賀へ移籍しましたが、そこでもなかなか試合に絡めずにいました。そんなタイミングでステラからオファーをいただいたんです。伊賀に移籍してまだ3〜4カ月だったので『このタイミングで行っていいのか』とすごく悩みましたが、ステラには素晴らしいグラウンドやクラブハウス、ジムがありますし、サッカー選手としてもっと上を目指すなら絶対に受けるべきだと思い移籍を決断しました」

この決断により、風間は初めて「プロサッカー選手」としてのキャリアをスタートさせることとなった。

「強みを磨いて、自分の得意なところで勝負していきたい」

2025年6月、ステラへの加入が発表され、幼少期を過ごした神奈川の地で、プロとしての新たな挑戦が始まった。池尻凪沙、岩崎有波、そして高橋拓輝コーチという、高い志を持つ仲間たちが温かく彼女をチームに迎え入れた。

「GKとしての環境は本当に恵まれていると思います。最初はみんな仲が良すぎてうまく入れるか不安でしたが、快く受け入れてもらって、今ではお互いを高め合える最高の関係です。ナギさんは身体能力が高いですし、有波はビルドアップが得意。自分自身はプレーに少し波があると感じているので、ハイボール処理やシュートストップという強みを磨いて、自分の得意なところで勝負していきたいですね」

チームメートと切磋琢磨しながら自らの武器を研ぎ澄ます日々。実際にピッチへ立つ時間が増えたことで、練習中には見えなかった新たな手応えと課題が浮かび上がってきた。

「ステラに来て少しずつ出場機会を得たからこそ『あの失点の場面で自分に何ができたか』『選手同士の声掛けはどうだったか』と深く悩むことも増えました。でも、ピッチに立ったからこそ気づける課題ですし、同じことを繰り返さないよう、一つひとつ乗り越えることが成長につながると信じています」

ピッチを離れれば、気さくで面倒見の良い一面が覗く。オフにはチームメートを連れて、地元・長野へのドライブ旅行を企画した。

「6月のオフには有波、(笹井)一愛、(築地)育の4人で長野へ行きました。一愛と『軽井沢に行きたいね』と話していたのがきっかけで、私が全部プランを立てて車の運転もしたんです(笑)。アウトレットで買い物をして、蕎麦を食べて温泉に入り、うちの実家に泊まって野尻湖や諏訪湖を巡りました。ステラの仲間は本当に仲が良くて、サッカーに集中できるこの生活が本当に楽しいですね」

数々の葛藤を越え、たどり着いた相模原の地。最後方からチームを勝利へと導くため、風間の視線は真っすぐに前を見据えている。

「これまでは試合に出られる喜びを感じながらも、失点数が多くなってしまい、悔しさも残りました。だからこそ、『チームを勝たせられるGK』になることが一番の目標です。自分の強みを最大限に発揮しながら、メンタルもプレーも波のない安定感を身につけて、クリーンシートを目指します」

プロフィール

風間 優華
KAZAMA Yuka

1999年5月27日生まれ、長野県信濃町出身
アンテロープ塩尻BelFiore - 東海大付諏訪高 - AC長野パルセイロ・レディース - FCふじざくら山梨 - AC長野パルセイロ・レディース - 伊賀FCくノ一三重 - ノジマステラ神奈川相模原(2025/26シーズン~)

(文=大西徹・株式会社アトランテ)