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池尻凪沙 インタビュー
最後方からチームを支え抜く不屈の信念

16池尻凪沙

WEリーグが開幕した2021年に加入し、ノジマステラ神奈川相模原の最後方でチームを支えるゴールキーパー。野球一家に育ち、挫折やケガを糧に成長を遂げてきた。地道な体づくりを経て新たな境地に立つ池尻凪沙が、これまでの歩みと揺るぎない信念を語る。

「自分の能力を一番生かせるポジションだと思ったんです」

池尻は1996年、熊本県荒尾市で産声を上げた。地元のクラブチーム「MJSCサンビーノ」では、双子の妹である池尻茉由が先にサッカーを始めていた。その背中を追うようにして、彼女もまたボールを蹴り始める。

「始めたのは、9歳か10歳くらいの頃だったと思います。先に茉由と幼なじみが始めていて、その姿が純粋に楽しそうに見えたんです」

もっとも、幼少期はサッカー一筋だったわけではない。その非凡な身体能力の礎となっていたのは、「野球一家」という環境である。

「父は西日本短期大学附属高校で甲子園に出場していて、我が家は生粋の野球一家でした。当時はサッカーより野球のほうが得意で、祖父のソフトボールチームに助っ人として駆り出されることもありましたね。自分の運動神経は間違いなく父譲りです。2歳上の兄の試合を応援しに行っては、父や妹とよくキャッチボールをしていました」

そんな彼女がゴールマウスに立つことになったのは、小学生時代のチーム事情がきっかけだった。

「5、6年生の頃、チームに専属のキーパーがいなかったことでポジションを任されるようになりました。ただ、本格的に始めたのは、中学生になってからのことです」

中学進学とともに、「MELSA熊本FC」に加入。自宅から練習拠点までは車で1時間弱の距離があったが、家族や周囲の協力に支えられ、週末を中心にピッチへ通い詰める日々を送る。この新天地で、本格的にゴールキーパーとしてのキャリアをスタートさせた。

「瞬発的な反応やシュートストップといった面で、自分の能力を一番生かせるポジションだと思ったんです。垂直跳びの数値はWEリーグ全体でもトップだったので、そのジャンプ力は生かせた気がします。ただ、今でもフィールドプレーヤーが点を取る姿を見ると『いいな』とは思いますね」

MELSAには専属のキーパーコーチがいなかったが、トレセンでの専門的な指導が池尻の成長を加速させた。そこでの出会いが、彼女を真の守護神へと変えていく。

「九州トレセンで出会ったコーチが、キーパーの奥深さを丁寧に教えてくれました。本気で取り組むきっかけをくれた方だったので、今でもすごく感謝しています。トレセンでは(大竹)麻友とも顔を合わせ、徐々に仲良くなっていきました。でも、当時の麻友は今のような天真爛漫なキャラクターではなく、まだおとなしかった記憶があります(笑)」

仲間と指導者に恵まれたMELSAは、九州を代表する強豪として輝かしい実績を残した。

「中3のときに全国大会出場を決めました。当時は九州最強という自負がありましたし、國武愛美(マイナビ仙台レディース)もいて本当に最高のチームでした。モットーは『真面目にふざける』こと。『楽しくサッカーをする、でもやるときはやる』みたいな感じで、ピッチ上で笑いが起きることもありました。他チームから見れば自由すぎたかもしれませんが、その空気感こそが自分たちの強みだったと感じています」

「普通の女の子になりたかった」

2012年、池尻は故郷を離れ、兵庫の日ノ本学園高校へと進学した。全国から精鋭が集まる環境に身を置いたが、実は高校でサッカーを続けるつもりは全くなかったという。当時の彼女が抱いていたのはアスリートとしての野心ではなく、少女としてのささやかな憧れだった。

「本当はサッカーを辞めて、普通の女の子になりたかったんです。かわいい制服を着て、放課後はバイトをして......そんな生活に憧れていました。妹や仲間が進学を決める中、自分一人だけが最後まで『行きたくない』と言い張っていましたね。でも周囲に相談すると『絶対にちゃらんぽらんになるからダメ』と猛反対されて(笑)。最終的には母から『行かないなら今すぐ受験勉強をしなさい』と迫られ、日ノ本への進学を決めました」

周囲の言葉が池尻をサッカーの世界へとつなぎ止めたものの、不本意な形で始まった高校生活は当初、葛藤の連続だった。理想と現実の間で、その心は激しく揺れ動いていた。

「後ろ向きな気持ちで入ったので、練習がとにかく長く感じて仕方がありませんでした。練習中も『なんでこんなことをしているんだろう』と時計ばかり見ていましたし、当時は本当に練習嫌いで不真面目な生徒だったと思います」

高校時代の池尻は、正キーパーの座をつかみ取れずにいた。同学年には木付優衣が君臨しており、公式戦のピッチに立つ機会は限られていたのだ。

「高校時代はほとんど試合に出られませんでした。3年生のときに選手権で優勝しましたが、大会後に恩師の先生から『最強の第二キーパーだ』というお言葉をいただいたんです。その評価を誇らしく思う一方で、悔しさも込み上げてきました。『それなら大学でナンバーワンのキーパーになる』と心に誓いました。あのときの言葉があったからこそ、今の自分があるのだと、心から感謝しています」

2015年、池尻は帝京平成大学へと進学する。創部間もないチームの「4期生」として、「このチームを強くする」という自負が、彼女を一人前のアスリートへと成長させていく。

「当時は2部(関東大学女子サッカーリーグ)からのスタートでしたが、一つずつ昇格していって、3年生で初めてインカレ(全日本大学女子サッカー選手権大会)に出場し、4年生ではベスト4に入ることができました。自分たちの手で、着実に歴史を積み上げていく実感がありましたね」

この4年間は、ゴールキーパーとしても飛躍的な成長を遂げた時期となった。その背景には、彼女が大学選びで最も重視した「師」との出会いがあったという。

「大学時代が一番成長できたと感じています。帝京平成大学を選んだのも、練習参加で出会ったキーパーコーチの指導を受けたいと思ったからでした。その方に教わったのは1年だけでしたが、後に赴任されたコーチには3年間鍛えていただきました」

また大学では、高校時代のチームメートだった木付と対戦する機会もあった。卒業後にジェフへ進んでいた彼女が1年後、早稲田大学ア式蹴球部女子部に移籍。再び同じ大学サッカーの舞台で、しのぎを削ることになったのだ。

「『自分は大学で一番になる』と決めていた一方で、木付はなでしこリーグで活躍し続けるものだと思っていました。だからこそ、木付が早稲田に入ってきたときは『絶対に負けないぞ』とあらためて思いましたね。4年生の関カレ(関東大学女子サッカーリーグ戦)で、木付のいる早稲田に勝てたときは本当にうれしかったです」

2019年、池尻はマイナビベガルタ仙台レディース(現マイナビ仙台レディース)へと加入し、なでしこリーグでのキャリアをスタートさせた。仙台を選んだ決め手もまた、直感を信じた指導者との出会いだった。

「なでしこリーグでプレーしたいという思いがあり、練習参加のために仙台へ向かいました。そこで、今も仙台で指導されているキーパーコーチに出会ったんです。教え方や練習内容を見て、『絶対にこの人に教わりたい』と思いました。自分は感覚で生きているタイプなので、『この人は自分に合う』という直感を信じていました」

仙台での2年間は、サッカー選手としての基盤を作る大切な時間となった。

「毎日がすごく楽しかったです。尊敬できる先輩方が多く、立ち居振る舞いを間近で学ぶことができました。大卒で何も分からなかった自分に対し、時には厳しい言葉をかけられることもありましたが、そこにはいつも深い愛があると感じていました」

そんな彼女にとって、2019年3月のなでしこリーグデビューは、不思議な巡り合わせとなった。舞台は相模原ギオンスタジアム。対戦相手は、後に所属することになるステラであった。

「今振り返ると、不思議な縁を感じます。最初に対戦したクラブに、今自分がいるんですから。ただ、当時の思い出といえば、とにかく風が強かったことですね。遮るものがなくて風をもろに受けるギオンスタジアムは、正直、当時は嫌いでした(笑)。小柄な自分にとって、キックが押し戻されるのは本当に大変だったんです」

「二人からは日々、大きな刺激をもらっています」

2021年1月、ステラが池尻の加入を発表した。WEリーグの開幕を8カ月後に控えた、まさに歴史が動くタイミングでの移籍だった。

「オファーをいただき、このチームに来ることを決めました。WEリーグが始まるのを機に、自分自身の環境を変え、新たなチャレンジをしてみようと考えたんです」

しかし、プロとしての新たな第一歩となるはずだった2021-22シーズン、不運なアクシデントが襲う。試合中に脛骨(すね)を骨折し、長期離脱を余儀なくされたのだ。

「人生で最大のケガでした。ただ、この経験があったからこそ、トレーニングに対する意識や体へのアプローチが根本から変わりましたね。それまでの自分は、ただ天性の能力に頼っていただけで、筋トレもあまりしたことがありませんでした」

仙台時代は仕事をしながらプレーしていたこともあり、ケアに割ける時間は限られていた。ステラに来て初めて直面した苦しみの中で、自身の体とじっくり向き合うことになる。

「手術ではなく保存療法を選んだのですが、痛みで歩けない期間が2、3カ月も続きました。普通に歩けることのありがたさを、このときほど感じたことはありません。レントゲンで骨がくっついていても足には違和感が残り、結局8カ月ほどは痛みとの戦いでした。でも、その過程でトレーニングの考え方が劇的に変わりました。自分の能力をもう一段引き上げられる可能性に、ようやく気づくことができたんです」

加入初年度のシーズンは、中断期間を経て2022年3月に戦列へ復帰。リーグ戦4試合に出場した。その一方で、妹の茉由はWEリーグ初年度の終了とともに、現役引退という大きな決断を下した。

「仙台時代の1年間、なでしこリーグで共にプレーできたのはいい思い出です。ポジションがキーパーとフォワードで全く違ったので、お互いに気楽な関係でしたね。実家に帰れば、妹のシュートを自分が受ける練習が当たり前にできて、本当に助かっていました。身内びいきではなく、妹のシュート技術やポテンシャルは、同じプロから見てもすごかったと感じています」

その後、着実に出場機会を増やしてきた池尻は、現在、心身ともにかつてない充実期を迎えている。

「今のコンディションに大きな波はありません。チームには(岩崎)有波と(風間)優華がいますが、本当の意味でお互いを高め合える、最高の関係を築けています。誰が試合に出てもおかしくないレベルにありますし、二人からは日々、大きな刺激をもらっています」

「このチームを勝たせたいという思いは、年々強くなっています」

ステラのゴールキーパーグループでは最年長となった。だが、練習場には常に彼女の明るい声が響き渡っている。

「たぶん、チームの誰よりも自分が一番、練習を楽しんでいますね。3人でいつもわちゃわちゃとしゃべっているので、高橋拓輝コーチは時よりそれが終わるのをじっと待ってから、メニューの説明を始めてくれるんです(笑)。拓輝コーチは自身の経験に基づいた的確なアドバイスをくれるので、すごく尊敬しています」

そんな充実した日々の背景には、ピッチ外での徹底したリフレッシュがある。中でも習慣にしているピラティスは、心身を整える大切な時間となっている。

「オフの日の朝はピラティスに行っています。呼吸を意識しながら動くので、終わった後はスッキリしますし、リラックスの一環として欠かせません。本当におすすめなので、女性の皆さんは始めたほうがいいですよ(笑)」

さらに、美への探求心も人一倍強い。自分を最高の状態に保つための、彼女なりのプロ意識の表れだ。

「月に1回、肌のメンテナンスに千葉まで通っています。たまに痛くて泣きそうになることもありますが、それでもきれいになりたい(笑)。鏡を見て肌の調子が良いと、それだけでうれしいですね。完全に自己満足ですが、コツコツ頑張ってきて良かったなと感じています」

今シーズンのステラは、かつての苦境を脱し、拮抗した展開でも粘り強く勝点を積み上げるようになった。最後方に構える守護神として、池尻はその変化を肌で感じている。

「もちろん最後に止めるのは自分ですが、それはみんなの支えがあってこそ。だからこそ心の中では、『絶対に自分がチームを勝たせる、負けさせない』という強い気持ちでゴールマウスに立っています。今シーズンは勝負の行方が分からない接戦が多いからこそ、経験を重ねて培ってきた心の余裕を大切にしたい。このチームを勝たせたいという思いは、年々強くなっています」

その余裕は、若手の多いチームを最後方から支える、精神的支柱としての振る舞いにもつながっている。

「キーパーというポジションだからこそ、みんなには気持ちよくプレーしてほしいんです。ミスがあっても『大丈夫だよ!』と前向きな声をかけるようにしています。一方で、オガさんからも求められているように、締めるべきところは締めることも大事。みんなが良い状態で戦えるよう、声を出し続けることが自分の役割だと思っています」

いよいよシーズンも佳境。彼女の視線は目の前の一戦、そしてチームのさらなる成長へと注がれている。

「残りの試合も、シュートストップやコーチングでチームを勝たせたい。最近は無失点の試合が増えていますが、勝ちきれなかったり、自分が活躍しても引き分けだったりするのは、やはりもどかしいですね。今はどの試合も楽しみで仕方がない。とにかく目の前の相手に勝つ。それだけです」

プロフィール

池尻 凪沙
IKEJIRI Nagisa

1996年12月19日生まれ、熊本県荒尾市出身
MJSCサンビーノ - MELSA熊本FC - 日ノ本学園高 - 帝京平成大 - マイナビベガルタ仙台レディース - ノジマステラ神奈川相模原(2021-22シーズン~)

(文=大西徹・株式会社アトランテ)