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明 詩音梨インタビュー
苦悩の末に見つけた、自分らしい姿

24明詩音梨

町田JFCから、ノジマステラ神奈川相模原のアカデミーへ。思うような結果を残せず、自分を失いかけた日々を乗り越え、トップチーム昇格という形で再起を遂げた。彼女がいかにして苦難をくぐり抜けたのか。その歩みをひもとく。

「そこでサッカーを辞めていたかもしれません」

サッカー人生の原点は、東京都町田市の「町田JFC」にある。2007年生まれの明詩音梨は、4人の兄と1人の妹と共に育ち、一番下の兄の背中を追うようにして、自然とボールを蹴り始めた。

「幼稚園の年長から兄と同じチームに行き始め、正式に入ったのは小1のときです。兄のプレーを間近で見ながら一緒にボールを蹴るうちに、純粋に『サッカーって楽しいな』と感じました」

男子選手に混ざりチームで切磋琢磨した日々が、彼女の才能を開花させていく。

「町田JFCは男子チームでしたが、一人の選手として温かく受け入れてくれました。小2から、よりうまくなりたい人が集まる『アドバンススクール』にも通い始め、通常のスクールに加えて週に1回、さらに高いレベルで練習していました」

そこで徹底して叩き込まれたのが、個の技術だ。ひたすらボールと向き合った濃密な時間が、現在のプレースタイルの礎となった。

「アドバンスは小5から『ドリブルサッカー』を基本とするチームに変わり、ボールを持ったらまずはドリブル、というスタイルでした。印象的だったのは、ドリブルのカバーに入る『2号』という役割です。味方がドリブルで失っても、後ろの選手がすぐに取り返してまた攻める。もともとドリブルは苦手でしたが、あの環境のおかげで少しずつ克服でき、今の自分につながっています。唯一の女子選手として不安もありましたが、みんな対等に接してくれて、最高の環境でした」

2020年、小学校卒業を前にノジマステラ神奈川相模原アヴェニーレ(U-15)のセレクションへ。当時の記憶は今でも脳裏に焼き付いている。

「小6の頃、女子選手に囲まれてプレーすること自体に慣れておらず、セレクションではすごく緊張していました。1次の出来は、自分でも『全然ダメだ』と思うほどだったんです。後で聞いた話ですが、ミドさん(緑川浩平コーチ、現・湘南ベルマーレウィメンU-18監督)だけが最高の評価を付けてくださったおかげで、ギリギリ2次に進み、その後、合格することができました。もし2次に進めていなかったら、自分はそこでサッカーを辞めていたかもしれません」

「自分のプレーそのものが分からなくなってしまいました」

しかし、ピッチでは試練が待ち受けていた。アヴェニーレ時代、最も深く刻まれているのは、JFA全日本U-15女子サッカー選手権大会で味わった悔しさの記憶だ。

「中2のときの全国大会準決勝、JFAアカデミー福島戦です。3年生主体のチームでスタメンに選ばれましたが、決着はPK戦になり、自分が9人目のキッカーとして外して負けてしまったんです。みんなに申し訳なくて、ずっと泣いていました。でも、先輩たちは優しく励ましてくれて......。あの試合は、次は自分が中心となってチームを勝たせたい、と強く思うきっかけになりました」

その誓いを胸に昇格したドゥーエ(U-18)時代。高3になった彼女はキャプテンという重責を担った。日本クラブユース女子サッカー大会(U-18)準々決勝、サンフレッチェ広島レジーナユース戦で再びPKの試練が襲う。

「夏の全国大会で、またしてもPKを外して負けてしまったんです。キャプテンとして自分が中心となって頑張らなきゃいけない、と思っていただけに、本当に悔しかったです」

その結果を払拭するために、今度は皇后杯JFA全日本女子サッカー選手権大会関東予選に臨んだ。自らに高いハードルを課したものの、理想と現実のギャップに空回りが続いてしまう。2回戦でFCふじざくら山梨と対戦した。

「もっと自分が努力して、結果を残さないといけないと思っていました。キャプテンになった以上は、自分の武器を見つけ、チームの流れを変えられるような選手になりたい。そう思いながら、練習にも取り組んでいたんです。でも、ふがいないプレーでチームを勝たせることができず、それからは自分のプレーそのものが分からなくなってしまいました」

自信を失い、出口の見えない苦しい時期が続いた。

「去年の10月から12月頃までは、精神的に追い込まれていました。何をやってもうまくいかず、ピッチ内でも日常でも迷いが出てしまって。気持ちが沈みすぎて、一歩も前に進めない感覚でした。あの時期は本当に苦しかったです。でも、どんなにミスをしても、それを気にしすぎるのではなく、すぐに行動に移さない限り現状は変えられません」

「立ち止まった時間も無意味ではなかった」

昨年12月、彼女に大きな転機が訪れる。12日にトップチーム昇格内定が発表されると、わずか8日後のサンフレッチェ広島レジーナ戦でWEリーグデビュー。発表からデビューまでは、かつてないほど慌ただしかった。

「合流したのは火曜日から。練習できたのは実質4日間だけで、そのままスタメンだと告げられたときはびっくりしました。『そんなに急に選ばれることがあるんだ』って。でも、選ばれたからにはやるしかありません。緊張はしましたが、今の自分にできることだけを全力でやろうと決めて挑みました」

デビューの地となったエディオンピースウイング広島では、臆することのないプレーを披露。WEリーグの舞台で戦い抜く手応えをつかんだ。

「自分の武器は守備にあると思っています。広島戦でもボールを奪える場面が多く、奪った後も意外と冷静にプレーできました。周りには頼もしい先輩たちがたくさんいるので、『困ったら頼ってしまおう』と安心して割り切れたんです。皆さんからたくさん話しかけてもらって、リラックスしてプレーできました」

ピッチに立ち続けることで、これまでの迷いも晴れていった。任されたポジションがボランチだったことも、彼女にはプラスに働いたようだ。

「ドゥーエでは、皇后杯関東予選の頃からサイドバックを務めていましたが、プレー中にいろいろと考えすぎてしまう時間があったんです。でも、トップで任されたのはボランチでした。常にボールに関わり、瞬時の判断を繰り返さなければいけないので、思考を止める暇がありません。余計なことを考えず、純粋にプレーだけに集中できた。それが広島戦でのパフォーマンスにつながり、調子を上げていけた大きな理由だと思っています」

この急激な環境の変化が、停滞していた明を動かすきっかけとなった。目の前のプレーに没頭せざるを得ない状況が、どん底にいた彼女を救ったのだ。

「広島戦をきっかけに、少しずつ自信が戻ってきました。正直、なぜあんなに落ち着いてできたのか自分でも不思議なくらいですが、始まってしまえばただ夢中でしたね。アカデミー時代の苦しい経験があったからこそ、立ち止まった時間も無意味ではなかったと今は言い切れます」

その一方で、プロの世界ならではの新たな不安も芽生えてきたという。今度は周囲の期待がプレッシャーとなって彼女に重くのしかかった。

「逆に、デビュー戦が良かったからこそ2戦目、3戦目のほうが緊張しましたね。『次もできて当然』と思われているんじゃないかという不安が、常に心の中にありました。特に初めてのホームゲームの緊張感は、今でも忘れられません」

「珠梨さんのアイデアや考え方を参考にしています」

2月22日、ホームの相模原ギオンスタジアムで行われたマイナビ仙台レディース戦。3試合目にして訪れた待望のホームデビューは、アウェイとは違う緊張感に包まれていた。

「アウェイは自分を知らない人たちに見られている感覚ですが、ホームは全く違います。運営を支えるアカデミーの後輩たちがいますし、見に来てくれた友達もスタンドにいます。いろんな方に見られている中で、『悪いプレーをしたらどうしよう』と、ついネガティブなことも考えてしまって。心の中では、かなり緊張していましたね」

そんな重圧をはねのけ、明は着実に出場機会をつかんでいく。チームの主力として階段を上る彼女には、ボランチとして手本にしている選手がいる。

「今は、コンビを組む機会が多い(伊東)珠梨さんのアイデアや考え方を参考にしています。トップ昇格前は、スタイルが似ている井上陽菜さん(現・マイナビ仙台レディース)のプレーをよく見ていました。ボランチとしてプレーする先輩方のいいところを吸収して、自分の成長につなげていきたいです」

お手本とするのは、同じポジションの選手だけではない。ピッチのどこにいても伝わってくる、仲間たちの勝利への執念。それが彼女のプロ意識をさらに研ぎ澄ませている。

「ピッチに立てば、どの選手に対してもリスペクトしかありません。(大竹)麻友さんやひかさん(祐村ひかる)のように、前線から何度もスプリントし、最後まで走り抜く。勝利への執念が本当にすごくて、心から尊敬しています」

WEリーグで第一歩を踏み出した若きボランチ。最後に、自らを支えてくれるファン・サポーターへの真っ直ぐな思いを口にした。

「いつも応援ありがとうございます。負けているときや苦しいときでも、常に前向きな声をかけてくれるサポーターの皆さんには、本当に頭が上がりません。皆さんと一緒に喜べるように、まずは自分が全力で戦う姿を見せて、勝利を届けられるよう頑張ります」

プロフィール

明 詩音梨
AKIRA Shiori

2007年8月29日生まれ、東京都町田市出身
町田JFC - ノジマステラ神奈川相模原アヴェニーレ - ノジマステラ神奈川相模原ドゥーエ - ノジマステラ神奈川相模原(2025/26シーズン~)

(文=大西徹・株式会社アトランテ)