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祐村ひかるインタビュー
新天地で描く攻撃の新たな形

29祐村ひかる

今シーズン、ノジマステラ神奈川相模原に加入。仲間に支えられながら新天地で挑戦を重ね、2桁得点を見据えている。ちふれASエルフェン埼玉で培った経験を土台に、持ち味の動き出しや周囲を生かすプレーで攻撃に厚みを加え、さらなる飛躍を誓う。

「その大会ではGKとキャプテンを任されました」

1997年生まれ、大阪府堺市出身。祐村がサッカーを始めたのは女子チームの堺レディース。本来は中1から入れるチームだったが、姉が所属していた縁で、小1から特別に参加させてもらい、ボールを追い掛けていた。小3からはアーバンペガサスFCに所属し、男子に混じってプレーする中で自然と技術を磨いていった。

「とにかく走りました。合宿で走り込みやドリブルばかりしていた記憶が残っています。小学生のときは下手だったので、ついていくのに必死でした」

中学進学後は、高槻市で活動するFCヴィトーリアに加入。自宅からは電車で1時間以上かけて通った。

「セレッソは近かったんですが、セレクションに受からず、姉の同級生が所属していたヴィトーリアに行きました。ヴィトーリアは関西でも強いチームで、奈良や京都から通う人もいました。中1から高3までが所属していて、中1でも頑張ればU-18の試合に出られます。レベルが高くてサッカー自体も面白く、成長できた3年間でした」

忘れられないのが、2012年、中3で出場した全日本女子ユース(U-15)サッカー選手権大会。J-GREEN堺で、チームは準優勝を果たす。1学年下の"ななまゆ"こと常田菜那や常田麻友と共にプレー。決勝は長野風花や南萌華を擁する浦和レッズレディースジュニアユースと対戦し、0-0の末、PK戦で敗れた。

「その大会ではGKとキャプテンを任されました。チームの決まりで中3からGKを選ぶことになり、受験で休む選手が多く、練習に来ていた自分が担当することになりました。GKプロジェクトにも参加して、『GKのほうが向いている』と言われたこともあります。その大会では全試合無失点でした」

GKとしての経験はその後も続く。2013年、全日本女子ユースサッカー選手権大会1回戦に出場。再びJ-GREEN堺で、中3の祐村は高校生に混じってプレー。チームにはのちにステラでプレーする高1の畑中美友香もいた。対戦相手は福岡県のANCLASユースだった。

「その試合はフィールドプレーヤーとして出場し、PK戦ではGKを務め、2本止めました。結局は負けましたが......。エルフェン時代にはケガ人が出て一度だけ皇后杯の第4GKとして登録されたことがあり、ユニフォームも作りました。ステラに来てから、GKの経験があることはまだ話していません(笑)」

本当は高校に進んでもヴィトーリアでサッカーを続けたかったが、中3のときに別の選択を迫られる。祐村にとって大きな決断となった。

「私立高校は授業数が多く練習に間に合わないので、公立高校を受験しようと思いましたが、模試の結果ではどこも厳しくて。ヴィトーリアに残るのは難しいと分かった頃、家から近い大阪学芸高校に声を掛けてもらい、進学を決めました」

「高校のときに一番鍛えられたのはメンタル」

大阪学芸高校から女子サッカー部の練習場までは自転車で約15分。中学時代に比べれば、練習環境はぐっと身近になった。

「南津守のグラウンドまで通っていました。大阪学芸はセレッソと提携していて、天然芝のピッチをセレッソレディースが、人工芝は大阪学芸が使うという環境でした」

高校時代を振り返ると、悔しい思い出のほうが多いという。1、2年では結果を残せず、3年でようやくずっと勝てなかった相手に初勝利。それでも全国大会には届かなかった。

「高校のときに一番鍛えられたのはメンタルです。高1のときは試合に出ていましたが、高2になるとメンバーから外れるようになりました。自分は思ったことをすぐ口にするタイプで、監督とよくぶつかってしまって(笑)。たぶん性格が似ていたんだと思います。その頃からフットサルにも通い始めました。年下の子からお母さん世代まで一緒に自由にボールを蹴る場で、みんなと会えるのも楽しかったです。そこで足元の技術は少し磨かれたと思います。高3のとき、副島博志さんがセレッソから派遣されて高校の監督となり、その頃からチームが強くなりました」

高校時代はプレーするだけでなく、Jリーグの試合会場にも足を運んだ。

「当時は柿谷曜一朗選手を応援していて、試合のある日は、練習後にそのままスタジアムへ向かうのがいつもの流れでした。この前ヨドコウ桜スタジアムでピッチに入場するとき、懐かしいメロディーが流れてきて、思わず口ずさんでしまいました(笑)。」

「1、2年生しかいませんが、本当に強いチームでした」

高校を卒業した祐村は親元を離れ、埼玉県の武蔵丘短期大学へと進学した。

「実家を出たいと思って大学を探していたとき、高校の顧問に武蔵丘短期大学を勧めてもらいました。パンフレットを見て実際に行ってみると、京都精華卒の園田瑞貴さんや藤枝順心卒の山下史華さんがいて、『このチームは強そうだし、2年なら頑張れそう』と思い、進学を決めました」

武蔵丘短期大学女子サッカー部CIENCIAに所属し、関東大学女子サッカーリーグで2年間プレー。1年目には全日本大学女子サッカー選手権大会でベスト4入りを果たした。

「短大は1、2年生しかいませんでしたが、結束力が強いチームでした。パスサッカーを軸にした遊び心のあるスタイルが特徴で、自分はスルーで3人目を使ったり、ワンツーで抜けたりといった動きが得意でした」

卒業後の進路を探す中で、いくつかのチームの練習会に参加。最終的には、練習環境が整っていて、大学の先輩が2人いたエルフェンを選んだ。

「皇后杯で準決勝まで進み、得点もできた」

エルフェンは当時、なでしこリーグ2部に所属。祐村は2018年に加入し、チームは翌2019年に皇后杯 JFA 第41回全日本女子サッカー選手権大会で準決勝に進出。祐村は日テレ・ベレーザ戦で81分に同点弾を決め、存在感を示した。3年目の2020年にはリーグ戦8得点を記録し、得点ランキング3位。スフィーダ世田谷FCに所属していた大竹麻友と並ぶ成績を残した。

「1年目は必死に食らいつき、2年目は途中出場ばかりで一番苦しいシーズンでした。でも、3年目にたくさん学び、それを自分に落とし込んで思うようにプレーできたと思います。迷いがなく、自分のスタイルを確立できた年でした。"打てば入る"くらいの自信もありました」

エルフェンには7年半在籍。そこで過ごした日々をこう振り返る。

「若い頃からお世話になり、大好きなチームでした。でもいろんなきっかけが重なり、決断しました。サッカーのことを考えるとステラに移ったほうが成長できると思ったんです。ケガから復帰して試合に絡めなくなった頃に『今シーズンでやめよう』と決め、誰にも相談せず移籍することをチームに伝えました。」

「やっぱり前からアグレッシブに行くのが大事」

2025年5月31日、祐村のステラ加入が発表された。長く過ごした埼玉を離れ、神奈川での新しい生活が始まった。

「麻友さんのように収めてくれるFWがいるので、新しいサッカーだなと感じました。前に収めてくれる人がいると、つながりが増えて、攻撃の人数をかけられるので、とても楽しいです」

開幕から4戦目の古巣エルフェン戦で、祐村は移籍後初ゴールを決めた。舞台は、長年プレーした熊谷スポーツ文化公園陸上競技場。試合は3-1で勝利し、チームにとって待望の今シーズン初勝利となった。

「3点をいろんな選手で取れたのは良かったです。事前の分析でクロス対応の話が出ていて、その形で決められたのも大きかった。失点したのは課題ですが、無得点が続いていた中で勝てたのは本当に大きいと思います。開幕してから得点できない試合が続きましたが、エルフェン戦では、攻撃の回数が増えればチャンスも増えて点が入るんだと実感しました。やっぱり前からアグレッシブに行くのが大事だと感じます」

私生活では、仲間と過ごす時間が心の支えになっている。慣れない土地での暮らしも、人とのつながりが安心感をもたらし、気持ちを軽やかにしてくれる。

「(大賀)理紗子さんはとても優しいです。もともと知り合いではなかったんですが、共通の知り合いが多くて声を掛けてもらい、そこから仲良くなりました。(長嶋)洸さんやヒラさん(平田ひかり)にもランチに誘ってもらい、いろんなお店に行きましたが、どこもおいしかったですね。オフの日においしい焼肉を食べるのも好きです」

締めくくりに、祐村は今シーズンへの抱負を語ってくれた。

「いつも掲げている2桁得点を、今シーズンこそ達成したいです。麻友さんがボールを収めてくれて、そこから周りが湧き出るような攻撃ができているので、得点も増えると感じています。2桁得点を目標にしつつ、自分のゴールでチームを勝たせられる存在になりたいです」

プロフィール

祐村 ひかる
YUMURA Hikaru

1997年10月18日生まれ、大阪府堺市出身
アーバンペガサスFC - FCヴィトーリア - 大阪学芸高 - 武蔵丘短期大 - ちふれASエルフェン埼玉 - ノジマステラ神奈川相模原(2025-26シーズン~)

(文=大西徹・株式会社アトランテ)