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築地育インタビュー
揺るがぬ意志で切り拓く道
19築地育
昨シーズン、早稲田大学からノジマステラ神奈川相模原に加入し、デビュー戦でゴール。積極的なプレーで存在感を示し、課題と向き合いながら成長を重ねてきた。今も揺るがぬ意志で挑戦を続けている。
「苦手なことから逃げずに向き合う姿勢もそこで学びました」

2002年、静岡県静岡市に生まれた築地は、父の仕事の都合で5歳から3年間をアメリカ・ニュージャージー州で過ごす。現地のクラブ「マルーンズ」でサッカーを始めた。
「みんなでお団子になってボールを追いかけていました。その頃はドリブルが得意なほうだったので、私がボールを持つと監督や保護者から『GO! IKU!』と声を掛けてもらえて、とても楽しかったです」
チームで技術的な指導を受ける機会は少なかったが、父や2歳上の兄と広い公園に行ってドリブルやボールタッチの練習を続けた。
「地道な練習は苦手で抜け出すこともありました。努力家の兄に父の注目が集まるのが嫌で、負けたくないし、父に振り向いてほしい気持ちが強かったんです。"試合で活躍すれば父が見に来てくれる"と思ったのは、兄に父を取られたくなかったからかもしれません」
3年間の生活を終えて帰国すると、再び静岡での日常が始まる。いったんサッカーを離れ、別の競技にも挑戦する。
「一度サッカーをやめてテニスを始めましたが、3カ月も続かず......やっぱりサッカーが好きだと気づいたんです。以前は基礎練習が嫌いだったのに、もう一度始めると、基礎に時間をかけること自体が楽しくなっていました」
小5までピュアFCでプレーし、小6で東源台FCへ。わずか1年だったが、その経験がサッカー人生を大きく変えた。
「東源台FCは足元の技術を重視するチームでした。周りの人のうまさを見て、自分も本気でやらなければと思いました。後ろからつなぎ、自分で行けるときは仕掛け、相手が寄ってきたら周りを使う。そういうサッカーが本当に楽しくて、組織的で個も生きるチームでした。練習への意識が大きく変わったんです」
仲間の存在からも大きな刺激を受ける。現在フランスのスタッド・ランスでプレーし、日本代表にも選ばれている関根大輝も当時のチームメートだ。
「大輝が日本代表で試合に出たときは、家族や同級生と『出てる!』と盛り上がりました。小6から加わったチームには静岡でも注目される人が多く、その中で過ごせたのは大きかった。今の技術はあの1年で積み上げたもので、苦手なことから逃げずに向き合う姿勢もそこで学びました」
「当時のサッカーノートが出てきてびっくりしました」

2015年春、常葉大学附属橘中学校に進学。小学生時代に身につけた考えを、中学でも大切にし続けた。
「チームは個を伸ばすことを重視していて、戦術的な指導はあまりなく、選手が自分の武器を生かすスタイルでした。でも私は東源台FCのようなサッカーをやりたい気持ちが強く、周りや監督にもよく提案していました。ただ、あまり相手にされず......(笑)。今思えば、監督は型にはめず、個々の発想を大事にしていたんだと思います」
戦術へのこだわりは当時から強く、ノートに書き留めるほどだった。
「実家を片付けていたとき、当時のサッカーノートが出てきてびっくりしました。ページ一面に『こうしたほうがいい』とびっしり書いて、失点シーンごとに分析もしていました。それを監督にも提出していたんです」
その後、常葉大学附属橘高校へ進学。高1の夏は開催地枠でインターハイ(全国高等学校総合体育大会)に出場し、1回戦を突破するが、2回戦で藤枝順心に敗れてベスト8止まり。それでも高3の静岡県大会では藤枝順心から勝利を収める。「順心とは勝ったり負けたりでした」と当時を懐かしむ。
高校卒業を前に、2021年9月開幕予定だったWEリーグや、なでしこリーグのクラブに進む道もあったが、築地は大学進学を決めた。
「WEリーグはまだ始まっていなくて、どうなるか分からない部分が多かったので、サッカーだけに絞らず、他の選択肢も持っておきたいと思ったんです。もちろんサッカーが一番でしたが、もっと広い世界を見たい気持ちもあり、大学を選びました」
「"チームのために"という視点が自分には欠けていた」

高校卒業後の2021年、築地は早稲田大学へ進学する。ここで出会ったのが、当時ノジマステラ神奈川相模原の現役選手で、現在はドゥーエ(U-18)を指導する、石田みなみコーチ。中学から大学、そしてステラでも続く大先輩の存在だった。
WEリーグ開幕前の春、入学したばかりの築地の心に忘れられない出来事が刻まれる。
「早稲田の練習に来てくださって、ファルトレク(全力走とジョギングを繰り返す走り込み)を見ながら『これが本気のメニュー?』『こんなんじゃ勝てない』と檄を飛ばされました。そのとき"これが早稲田なんだ"とワクワクしました。昔からサボらないことを大事にしてきたので、ここならみんなと分かり合えるかもしれないと思ったんです。ステラに入ってから『あのときのこと覚えてますか?』と聞いたら、『やめてよ、昔の話だから』と照れていました(笑)」
新しい環境での挑戦は、まず自分を抑えることから始まる。1年目のポジションはサイドハーフ。中学や高校時代のように自分の主張をぶつけるのではなく、チームに求められる役割を考えるようになっていった。
「"このポジションでチームに何をもたらせるか"を意識するようになりました。ボランチをやりたい気持ちは残っていましたが、コーチから『ボランチとしての強みを理解した上で、今は他のポジションでもチームのために力を発揮してほしい』と言われ、"チームのために"という視点が自分には欠けていたんだと気づきました」
2022年1月、早稲田は全日本大学女子サッカー選手権大会で優勝する。1年生の築地も途中出場を果たしたが、心に残ったのは喜びではなく悔しさだった。
「少しだけボランチで出ましたが、何もできないまま終わってしまって。チームは盛り上がっていましたが、私はどう喜んでいいのか分からなかった。シーズンを通して貢献できた実感はなく、先輩たちが勝ち取った優勝だという感覚が強かったです」
1年生のときから経験を重ねる中で、プレーだけでなく自分の在り方についても意識が広がっていく。
「サッカーの技術を磨くだけでなく、組織の中でどう伝え、どう振る舞うかを考えるようになりました。周りから"早稲田大学ア式蹴球部の選手"として見られる中で、自分の影響力やプレーを通して何を感じてもらいたいのかを意識するようになったんです。そこまで深く考えて取り組めたのは、4年間の大きな収穫だと思います」
「あのとき菜那さんがいなかったらきつかった」

2024年8月、大学4年の夏。ステラへの加入内定と「JFA・WEリーグ/なでしこリーグ特別指定選手」の承認が発表される。
同年9月、アウェイのセレッソ大阪ヤンマーレディース戦で57分から出場。わずか10分後、南野亜里沙からのパスを受け、右足を振り抜いてデビュー戦で鮮烈なゴールを決めた。
「帰ってから何度もそのシーンを見返しました。たくさんの方から連絡をいただいて、なかなか眠れませんでした」
特別指定選手として迎えた1年目の2024-25シーズン。キャリーケースを引いてステラと大学を行き来する多忙な毎日が続いた。
「本当にきつかったです。早稲田とは全く違うサッカーに衝撃を受けました。ステラの練習に参加しては試合に帯同し、メンバーから外れたら早稲田に戻って試合に出る。その繰り返しで立場も中途半端で難しく、周りとのコミュニケーションにも戸惑い、練習後は部屋から一歩も出ないような日が多かったです」
そんなとき、支えになったのが先輩の気遣いだった。
「苦しいなと感じていたとき、常田菜那さん(現・伊賀FCくノ一三重)が『買い物に行くけど一緒に行く?』と誘ってくれました。練習でも、自分が1人で準備運動をしているときに声をかけてくれて。本当に優しくて、あのとき菜那さんがいなかったらきつかったと思います」
今年の春に大学を卒業し、今はステラの活動に専念している。
今シーズンのWEリーグ第5節、アウェイのちふれASエルフェン埼玉戦では27分に川島はるなのゴールをアシスト。フル出場を果たし、今シーズン初勝利に貢献した。
「フル出場は本当に久しぶりで、たぶん1月のインカレ(全日本大学女子サッカー選手権大会)準決勝以来です。ウイングは運動量が必要で正直きつかったですが、ボールを奪ったり前に出たりすることはできました。ただ、仕掛ける力はもっと必要だと感じています。苦手なことから逃げないと決めてきたので、今まさに向き合う機会をもらっています」
試合では黄色やオレンジなど派手な色のヘアバンドやスパイクを身に着けるのが定番になった。
「大学で髪型を変えたときに前髪が邪魔でヘアバンドを付け始め、どうせならと目立つものにしました。スパイクやマウスピースも同じ色でそろえています。最初は『太すぎない?』と言われましたが(笑)、今は自分の一部です」
今シーズンはスタメンに名を連ねることが増えてきた。「チームに勢いをもたらす選手になりたい」という言葉には、自らの役割を受け止めた上での決意がにじむ。
「今のポジションだからこそできる勢いのつけ方があると感じています。プロとしてプレーする以上、応援してくれる方に還元したい。応援されて終わりではなく、見に来てくれた人が"収穫があった"と思える試合にしたいです」
試合を重ねるごとに、スタンドからの「築地育」コールは一段と大きくなっている。その声援は、幼い頃に「GO! IKU!」と背中を押されてボールを追った日々と重なる。
「めっちゃうれしいです。自分の名前を呼んでもらえるのは大好きです。そのすべてが力に変わっています」
プロフィール
築地 育
TSUKIJI Iku
2002年11月13日生まれ、静岡県静岡市出身
Maroons(アメリカ) - ピュアFC - 東源台FC - 常葉大附属橘中 - 常葉大附属橘高 - 早稲田大 - ノジマステラ神奈川相模原(2024-25シーズン~)
(文=大西徹・株式会社アトランテ)