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笹井優愛インタビュー
積み重ねた努力、姉と共に描く未来

26笹井 優愛

ノジマステラ神奈川相模原のアカデミーで育ち、姉・笹井一愛の背中を追い続けてきた笹井優愛。幼い頃から競い合い、悔しさをバネに成長してきた。WEリーグデビューを果たし、現在はトップチームの一員として新たな挑戦の真っ只中にいる。未経験のポジションにも挑みながら、試合を重ねるごとに手応えを感じ、模索し続ける日々。これまでの歩みと、姉と共に思い描く未来を語った。

「スピードがなくても勝てる抜き方ができるようになった」

優愛は2006年生まれ、神奈川県横浜市出身。FCカルパでサッカーを始め、2歳上の姉・一愛も同じチームでプレーしていた。

「幼稚園の年長でチームに入りました。姉が小2から始めて、自分もついて行くようになりました。幼稚園と小学校のグループは分かれていましたが、姉の練習に混ぜてもらうことも多かったですね」

小学6年生までFCカルパでプレーし、日産スタジアムでの試合が特に印象に残っているという。

「小6のとき、日産カップ(日産カップ争奪 神奈川県少年サッカー選手権大会)の3位決定戦が日産スタジアムで行われ、その試合に出ました。自分たちの代は強く、マリノスにも勝ったことがあります」

強豪チームの中でもまれながら、成長を遂げた。チームの強さの要因をこう振り返る。

「親が本気で子どもにサッカーをさせてくれて、チームのみんなが上を目指していたからだと思います。自分の父も厳しく、夜ご飯を食べた後、2〜3時間練習をして、泣きながら帰ることもありました(笑)」

サッカー経験者だった父の指導のもと、負けず嫌いの優愛は一愛との1対1に何度も挑んだ。しかし、2歳差の壁は厚く、なかなか勝てず、涙を流すこともあった。それでも幼稚園の頃にはリフティング100回を達成し、確実に成長していった。

「姉ができることを自分ができないと、すごく怒られました(笑)。でも、そのおかげで同じレベルまで鍛えられ、男子チームの中でもプレーできる力がついたと思います。ポジションはFWで、背番号は9番。点を取ることが楽しかったです。父がFWだった影響で、姉も弟もみんなFWです」

しかし、一愛とプレーする中で技術や体力の差を痛感する。どうすれば勝てるのかを考えながら工夫を重ねた。

「小学生の2歳差って大きいんですよ。姉はスピードもテクニックもあって、1対1では絶対に勝てなかった。だから、どうやって逆を突くかを常に考えていました。その経験が今につながり、足元の技術が身についたし、スピードがなくても勝てる抜き方ができるようになったと思います」

「絶対にWEリーグで姉と一緒にプレーしたいと思った」

中学進学とともに、優愛はノジマステラ神奈川相模原アヴェニーレ(U-15)に加入。一愛も在籍するこのチームで、新たな挑戦が始まった。

「当時、アヴェニーレには"まかない"があって、食事の時間に平田ひかり選手が顔を出してくれました。中1の頃は量が多くて食べきれない子もいたんですが、『頑張って食べな』と声をかけてくれて、すごく優しかったです」

中学3年時のJFA全日本U-15女子サッカー選手権大会では、チームを3位に導く活躍を見せた。ポジションもFWからトップ下へと代わり、新たな役割を担った。

「FWはゴールに背を向ける場面が多いですが、トップ下なら前を向いてプレーできます。モンさん(吉田彩香アヴェニーレ監督・当時)からも『FWに当てて、そこから関わる動きを意識しよう』と言われていました。全方向から相手が来る分、判断の速さが求められましたが、ボールに関わる機会が増えて楽しかったです」

ドゥーエ(U-18)に昇格した後、ポジションはボランチになった。それまで攻撃の選手として育ってきた優愛にとって、大きな変化だった。

「それまで守備はうまくないと思っていたんです。でも、ミドさん(緑川浩平ドゥーエ監督/現トップチームコーチ)に『ボランチのほうがいい』と言われて、続けました。最初は狭いスペースでのプレッシャーに戸惑いましたが、ボールに関わる回数が増えるにつれて自然と慣れていきました。楽しさも見出し、コンバートしてもらったことに感謝しています」

2021年9月、中学3年のときにWEリーグが開幕する。翌年9月には一愛が17歳でWEリーグカップに出場し、優愛の目標もより明確になった。

「絶対にWEリーグで姉と一緒にプレーしたい。そのためにはトップチームに上がるしかない、と強く思いました」

2024年3月、育成組織TOP可選手としてトップチームに登録。ドゥーエに所属しながら、WEリーグの公式戦にも出場できるようになった。高校との両立は大変だったが、充実した日々を送ったという。

「午前はトップの練習、12時に終えてすぐシャワーを浴び、自転車で40分かけて学校へ行き、5、6時間目の授業を受ける生活でした。出席が必要な授業はしっかり受けていたので、なんとか両立できていたと思います。トップの練習は楽しかったし、学校はいい息抜きにもなっていましたね(笑)」

「姉が決めてくれたときは、本当にうれしかった」

2024年5月2日、優愛はWEリーグ第18節ジェフユナイテッド市原・千葉レディース戦のメンバーに入る。59分に一愛と交代し、17歳でWEリーグデビューを果たした。

「本当は一緒にプレーしたかったけど、『姉の分まで頑張ろう』と思いました。デビュー戦でゴールを決めることを目標にしていましたが、それはかないませんでした」

4日後の第19節サンフレッチェ広島レジーナ戦では79分に途中出場。しかし、その3分後に失点し、チームは敗れた。

「試合と練習は、負荷もスピード感も全く違い、まだついていけてないと感じました。試合後はすぐに姉と動画を見直し、『ここはこうしたほうがいいね』と話しながら反省会をしています」

9月、トップチーム昇格内定がクラブから発表される。そして11月23日の第10節マイナビ仙台レディース戦では、姉妹そろってベンチ入り。64分に一愛、77分に優愛がピッチへ。82分、優愛のCKに大竹麻友が競り、最後は一愛が押し込んだ。

「CKは普段の練習から蹴らせてもらっています。昔、左利きがかっこいいと思って練習していたこともあり、今は左右どちらでも蹴れます。姉が決めてくれたときは、本当にうれしかったです」

1週間後の第11節アルビレックス新潟レディース戦では、左サイドバックとしてフル出場。これまであまり経験のなかったポジションで力を尽くした。

「センターバックやサイドバックなど、未経験のポジションにも挑戦しています。監督やコーチのアドバイスを受けながら、少しずつ理解できるようになりました。新潟戦でスタメンのチャンスをもらい、『最後まで走り切る』と決めて臨みました」

2025年2月、正式にトップチームへ加入し、プロとしての道を歩み始めた。最近の練習ではセンターバックを務める機会も増える中、攻撃にも積極的に関わっているという。

その一方で、オフの日は、家族と過ごす時間も大切にしている。

「外でサッカーをしたり、家でゲームをしたりしながら家族と過ごしています。サッカーゲームでは、姉がゴールを決めると弟の前で思いっきり喜ぶので、すぐにケンカになります(笑)。自分はその様子を見て笑っているだけです。でも、家族の仲は良くて、休みの日には、ショッピングやボウリングに出かけることも多いですね」

優愛の挑戦は、まだ始まったばかり。今はステラの一員として、ピッチで結果を残し、チームに貢献することが最大の目標だ。

「試合に出るために、まずは日々の練習からしっかりアピールしていきます。そして、ピッチに立ったら、自分のプレーやゴールで勝利に貢献し、見ている人がワクワクするような試合をしたい。アヴェニーレやドゥーエの選手たちにとって憧れの存在になれるよう、これからも頑張ります」

プロフィール

笹井 優愛
SASAI Yua

2006年11月25日生まれ、神奈川県横浜市出身
FCカルパ - ノジマステラ神奈川相模原アヴェニーレ - ノジマステラ神奈川相模原ドゥーエ - ノジマステラ神奈川相模原(2024-25シーズン~)

(文=大西徹・株式会社アトランテ)