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南里杏インタビュー
迷いを断ち切った言葉と準備

14南里杏

持ち前のスピードを武器に、学生時代の試練を経て心身を磨き上げた南里杏。ステラ加入後はプロの壁に直面するも、「徹底的な準備」を力に変え、今シーズンは2得点を記録。選手会長としてもチームを支える彼女が、これまでの歩みと覚悟を語る。

「制服姿がとにかくカッコよかった」

2001年生まれ、埼玉県川越市出身の南里。彼女の原点は、幼稚園から小6まで所属していた小学校の体操クラブにある。

「体操クラブといっても体操だけではなく、季節によってバスケやサッカーなど、いろいろやっていました。実は幼稚園の頃、水泳も習っていたんですが、並んでいるときに後ろの子とぶつかってプールに落ちてしまって......。『もうやめる!』って母に伝えました。だから泳ぎは得意ではないんです...(笑)」

当時、地元では体操クラブかサッカー少年団を選ぶ子どもが多かった。南里も小1から少年団の勧誘を受けていたが、「チームに女の子がいないから」と断り続けていたという。意外なことに、当時の憧れは体操選手でもサッカー選手でもなく、白バイ隊員だった。

「友達の親戚に白バイ隊員の方がいて、よく写真を見せてもらっていたんです。その制服姿がとにかくカッコよかった。母に警察博物館へ連れていってもらったときには、制服を着て白バイに乗せてもらいました」

そんな彼女に転機が訪れたのは、小5の秋。学校対抗のサッカー大会に向けた練習のため、少年団の川越ストロングスに参加することになった。当時の思い出を、南里はこう振り返る。

「練習前のグラウンド10周が嫌でしたね。キックも全然飛ばなくて、コーチに『今日はやめようか』と言われるほど。私は小さくて、うまくなかったけど、周りは『女の子だから』といった特別扱いは一切せず、男の子と同じように接してくれました。今でもオフに顔を出しますが、当時のコーチには『アンが一番負けん気が強かった。最後まで食らいつくのはいつもアンだったよ』と言われます」

「私も学校の部活に入ろうと思った」

2014年、中学生になった南里が選んだのは、1FC川越水上公園メニーナ。チームの2期生としてのスタートだった。

「1期生が11人で、私たち2期生は5人。人数が少なかった分、一人ひとりを丁寧に見てもらえたのは大きかったですね。練習はフットサルコートのような狭いスペースが中心だったので、細かいボールの受け方やコンビネーション、相手の外し方はそこで身につけました」

技術をたたき込んでくれたのは、経験豊富な指導者たちだ。

「コーチたちがとにかくうまくて、2、3人で囲んでもボールが取れないんです。若くて動けるし、言葉にも説得力がある。しかも、指導は容赦ありませんでした。走り込みも含めて練習はかなりきつかったです」

その厳しさは結果に結びつく。3学年がそろった中2のときには、チーム初となる関東大会への出場を果たし、リーグ戦でも1部昇格を達成。南里は3年時にキャプテンを務め、チームの躍進を支えた。また、当時はクラブチームだけでなく、中学校の陸上部にも所属していたという。

「兄が部活で友達をたくさん作っているのを見て、私も学校の部活に入ろうと思ったんです。短距離や四種競技を選んだのは、サッカーにも生かせそうだったから。ただ、足が速いのは幼稚園の頃からなので、陸上部のおかげというよりは、元々持っていたものかもしれません」

現在、チーム内でも池尻凪沙と一、二を争うその俊足は、この頃からすでに際立っていたのだ。

「私にはカッコよく、魅力的に見えた」

進学先に新潟の帝京長岡高校を選んだのは、先輩たちの存在が決め手だった。

「一つ上の先輩二人が帝京に進学すると決まったとき、自分も絶対に行くと心に決めていました。帝京は規律に厳しく、あいさつの声の大きさはもちろん、脱いだ靴やリュックの向きまで徹底して揃える。そのピシッとした姿が、私にはカッコよく、魅力的に見えたんです」

しかし、当時の南里に「推薦がもらえる」という自信はなかった。

「自分は決してうまい選手ではなかったので、『推薦がダメなら一般受験してでも行かせてほしい』と親に頼んでいました。それくらい必死だったんです。練習参加の時点では定員の関係もあり厳しい状況でしたが、なんとか入学がかないました」

2017年に入学すると、2年時には同校初の全日本高校女子サッカー選手権大会出場とベスト8進出に貢献。3年時の同大会では、帝京独自の約束事が、2つのゴールを呼び込んだ。

「帝京のルールは独特なんです。練習試合でクロスをミスしてラインを割ったら、試合中だろうが一度ハーフウェーラインまでダッシュで戻らないといけなかったんです。1点目は、まさに『絶対に中に入れなきゃ』と思いながら蹴ったボールが、巻ききれずにそのままゴールに入った形でした。2点目は、『どんなボールも頭で行け』という教えどおり。頭から突っ込む練習をひたすらやっていたおかげで、ダイビングヘッドが決まりました。今でも同期や後輩のプレーを見ると、みんな頭から行くので、帝京の血が流れているなと感じます」

華やかな全国大会出場の裏には、雪国ならではの過酷な日々もあった。

「新潟は雪国なので、全国大会出場が決まれば、雪のない地域へ合宿に行けます。でも、予選で負けてしまった高1の冬はずっと新潟でした。来る日も来る日も雪かきをして、除雪が間に合わなければ、校舎の1階から4階までをひたすら走らないといけない。あの3年間で、メンタルは相当鍛えられましたね」

「バラバラになっていたら、部として終わっていたと思う」

高校卒業後の2020年、十文字学園女子大学へ進学。当時のチームはサークルから部活動へ移行する過渡期にあり、さまざまな経歴を持つ選手が集まっていた。2年時には関東大学女子サッカーリーグ2部で優勝し、1部昇格を果たす。しかし、そこには「勝って当たり前」という難しさがあった。

「2部のときは、自分たちより順位が下の相手と戦うことが多くて、逆に難しかったですね。上の相手にはチャレンジャーとして挑めますが、下位チームには『圧倒して勝たないといけない』というプレッシャーがある。でも、私たちの目標はインカレ(全日本大学女子サッカー選手権大会)で日本一になること。そのためには1部に上がって、まずスタートラインに立つ必要がありました」

順調に見えた道のりだったが、3年時にチームを揺るがす大きな試練が訪れる。行きすぎた指導が問題視され、チーム内が分断されかけたのだ。崩れそうな組織をつなぎ止めるため、南里は大学側・スタッフ・選手の間に立ち、調整役として奔走した。

「本当に難しい時期でした。選手一人ひとりの思いを聞き、大学やスタッフとも話し合いましたが、内容がデリケートなだけに、すべてをみんなに伝えることはできない。そのせいで、『アンしか動いていない』『全部自分でやろうとしている』と誤解されることもあり、板挟みになりながら、それでも必死でした。もし、あのままバラバラになっていたら、部として終わっていたと思います」

サッカーを辞めることすら頭をよぎった。しかし、そこで監督代理を務めたコーチとの出会いが、彼女のサッカー観を劇的に変えることになる。

「そのコーチが、それまで教わってきた蹴るサッカーやカウンターだけでなく、ビルドアップやつなぐサッカーなど、いろんなことを教えてくれたんです。そこで初めて自分の可能性に気づかせてもらいました。あの苦しい時期があり、その人と出会えたからこそ、今の自分があります。WEリーグという場所を明確に目指そうと思えたのも、そこからでした」

4年時にはキャプテンとしてチームを牽引し、悲願のインカレ出場権を獲得。嵐のような日々を糧に変え、南里はプロへの扉を開いた。

「目に見える結果がずっと欲しかった」

2024年1月、ステラに加入。南里はいきなり初戦でスタメンに名を連ね、フル出場を果たした。しかし、徐々に自信を失い、長いトンネルに入り込んでしまう。

「最初は新たに学べることが多くて楽しかったんですが、だんだんうまくいかなくなって......。好きなサッカーが仕事になったからこそ逃げ道がない。正直、ずっと苦しかったです。試合に出たいけれど、出るのが怖い。アクセルとブレーキを迷っているような状態でした」

迷いを断ち切ったのは、大学時代のあるコーチからの「コントロールできることに集中しなさい」という助言。彼女はその言葉を「徹底的な準備」と解釈し、行動を変えた。

「結果や評価は自分ではどうにもできない部分もある。だから、映像分析やノートへの書き出しなど、自分ができる準備にすべてを注ぎました。そうすることで、ピッチ内での立ち位置や周囲とのつながりが見えてきて、プレーに余裕が生まれたんです」

その変化が、待望のWEリーグ初ゴールをたぐり寄せる。苦悩の末につかんだ歓喜を、南里は噛み締めるように振り返った。

「とにかくうれしかったです。シーズンの目標として、得点やアシストといった目に見える結果がずっと欲しかったので。決めた直後にみんなが駆け寄って来てくれて、試合後にたくさんの人が連絡をくれて、本当に幸せでした」

今シーズンから選手会長という役割も担うことになった。手探りながらも、チームのために動こうとする姿勢には覚悟がにじむ。

「どう振る舞うべきか、ゼロからのスタートでした。前任のヒラさん(平田ひかり)が選手会長として完璧だったので、正直不安はあります。今のところ大きな仕事はありませんが、各チームの代表が集まる会議に参加して意見を伝えたりもしました。役職をもらったからには、チームにとってプラスになるよう、責任を持って務めたいと思っています」

ピッチを離れた素顔にも迫った。休日の過ごし方を聞くと、彼女らしい真面目さと親しみやすさが伝わってきた。

「オフの日もカフェで試合映像を見たり、アスリート向けのビジネススクールをオンラインで受講したり......こう話すと真面目すぎますかね(笑)。でも、チームメートと出かけるのも好きですよ。おすすめは相武台下駅から車で5分ぐらいのところにある『むーちゃん』というたい焼き屋さん。そこのハムチーズとお好み焼きは本当においしいです」

ストイックにサッカーと向き合いながら、チームを支え、時には仲間と出掛けて息を抜く。最後に、今シーズンの抱負をこう結んだ。

「今シーズン、もう1点は取りたいです。あの瞬間をまた味わいたいという思いが強いので。今の自分があるのは、これまで関わってくれた方々のおかげです。だからこそ、選手として結果を出すことで恩返しがしたい。自分のプレーする姿を通して、見ている人に何かを届ける、そんな選手になりたいです」

プロフィール

南里 杏
NANRI An

2001年11月6日生まれ、埼玉県川越市出身
川越ストロングス - 1FC川越水上公園メニーナ - 帝京長岡高 - 十文字学園女子大 - ノジマステラ神奈川相模原(2023/24シーズン~)

(文=大西徹・株式会社アトランテ)