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岸川奈津希インタビュー
手応えをさらなる力に変えて、古巣との対戦へ
8岸川奈津希
今シーズン、ノジマステラ神奈川相模原に加入したMF。豊富な経験を生かして攻守両面で存在感を発揮し、得意のヘディングでゴールを決めるなどチームの勝利に貢献。頼りになる背番号8が、これまでのサッカー人生を振り返った。
「子どもたちは大人のプレーを見て、まねしていました」

岸川奈津希は1991年生まれ、神奈川県横浜市出身。あざみのFCに入ったのは幼稚園年長の頃だ。近所にチームがなかったため、週末になると、自宅から遠いグラウンドまでは親の車で通っていた。
「あざみのFCには小2ぐらいまでいました。男子の中で女子は自分一人で、当時、横浜では女子は公式戦に出場できないというルールがあったんです。そんなとき、母が湘南ベルマーレジュニアを見つけてくれて、自分より一つか二つ上の女の子がいたので、そこに入りました。平日は学校が終わると急いで準備して親に送ってもらい、平塚の大神グラウンドで練習をしていた記憶があります。こうした生活が小3ぐらいまで続きました」
ベルマーレジュニアと並行してヴェルディスクールにも通っていた岸川は、小4でヴェルディジュニアに加入する。彼女には、当時の忘れられない出来事がある。それは練習試合の後、一人の男の子から声を掛けられたことだ。
「相手チームの『なつき』という男の子に『おまえもなつきっていうの?』と話しかけられました。当時の自分はショートカットだったので、たぶん女の子だと思われなかったんでしょうね。なれなれしく肩を組まれて『なつきっていう名前、女に間違えられない?』と聞かれ、『え、女だけど』と言い返すと、『え!まじかよ、おまえ女なの?』とものすごく驚かれたことが強く記憶に残っています(笑)」
ヴェルディジュニアでは、指導者たちからも大きな影響を受けたという。
「菅澤大我さん(現・FC町田ゼルビア アカデミーダイレクター)や松田岳夫さん(現・セレッソ大阪ヤンマーレディース監督)に教わりました。コーチの皆さんもいっさい手加減をしないというか、練習に入ってくれるのですが、小学生相手に合わせることはなく、子どもたちは大人のプレーを見て、まねしていました」
「仲間や家族の言葉がなければ今の自分はありません」

2004年、中学進学とともに日テレ・メニーナに加入する。そこで彼女を待っていたのは、より一層厳しい環境だった。
「メニーナはジュニアよりもさらに厳しかったです。試合で前半の内容が悪ければ、ハーフタイムに休憩することなくダッシュを繰り返していました。ただ勝つだけではダメで、内容も伴わなければいけないと言われていたのを覚えています」
中2のとき、JFA第9回全日本U-18女子サッカー選手権大会に出場し、優勝を果たした。メニーナはU-15とU-18に分かれておらず、中1から高3までが同じチームで練習し、試合にも出場していた。年上の先輩たちと共に戦い、貴重な経験を積み重ねていった。
「中学生のときからU-18の大会に出て高校生年代のチームと対戦して、関東リーグでは大学生や社会人と試合をしていました。中1から見れば、周りはみんな大人なので、萎縮しながらプレーしていましたね。当時のメニーナには、永里亜紗乃さんや原菜摘子さんがいて、一つ下には岩渕真奈がいました。同世代がいるチームには絶対に負けてはいけない、という雰囲気がチーム全体にありました」
高2のとき、彼女のキャリアに大きな転機が訪れる。日テレ・メニーナを離れ、浦和レッズレディースユースへの移籍を決めた。そこには苦渋の決断があった。
「高1の冬ごろは、サッカー人生で一番サッカーが嫌だと感じていた時期で、すごく悩んでいました。U-17女子ワールドカップへの出場を目標にしながらも、サッカーを辞めたいとさえ思うほどでした」
そんな彼女を支えたのは、U-16日本女子代表で共に戦ったチームメートだった。
「レッズにいた同い年の選手が、『サッカーを辞めるのはもったいない』と声を掛けてくれました。当時は苦しかったですが、仲間や家族の言葉がなければ今の自分はありません。本当に感謝しています」
2008年、浦和レッズレディースユースに加入し、レッズランドまで通う新しい生活が始まる。帰宅はいつも夜11時を回る日々だった。2009月1月にはJOCジュニアオリンピックカップ 第12回全日本女子ユース(U-18)サッカー選手権大会に出場。浦和は決勝まで勝ち進んだ。
「決勝で熊谷紗希さんがいた常盤木学園に敗れました。その翌年、高3になると2つ下に(長嶋)洸が入ってきて、チーム一丸となって戦い、その全国大会で優勝できたのはいい思い出です」
2010年、浦和レッズレディースに昇格。22歳まで大学に通い、卒業後はレッズランドで働きながらプレーを続けた。
「2013シーズンはベテランが抜けて、若返ったチームに勢いはありました。でも、結果が出ずに苦戦して、途中で監督交代もあり、残留争いを強いられる苦しいシーズンでした。その経験を経て、2014シーズンも若いメンバーが中心となって戦い、リーグ優勝を果たすことができました」
2015シーズンが終わる頃、岸川は海外クラブへの移籍を模索し始めた。しかし、その挑戦は見送り、ベガルタ仙台レディースへの移籍を決断する。
「安藤梢さんや熊谷紗希さんがドイツへ行くのを見て、自分もいつか海外へ行きたいと思っていました。その意思をクラブに伝えていたところ、ちょうどそのタイミングでベガルタからオファーをいただいたんです。海外移籍の希望を伝えても『それでも来てほしい』と言われ、新しい環境でチャレンジしようと決めました」
「ドイツでプレーしたことで、すごくタフになった」

仙台時代、彼女の心に深く刻まれているのは、地域の人々との温かい交流だ。
「仙台の人たちは本当に温かく、職場の皆さんが毎試合スタジアムで応援してくれました。チームメートもみんな優しくて、すごく楽しかったです。先日のアウェイゲームでも職場の皆さんが見に来てくれて、周りの人たちに本当に恵まれたと感じています。当時、『サッカー中心に考えていいよ』と勤務時間もサッカーを優先させてもらい、とてもありがたい環境でした」
2018年、かねてから希望だった海外クラブへの挑戦を見据え、新たなチームを探し始めた。
「ベガルタ退団後、1月からドイツへ渡り、練習参加を始めました。シーズン途中だったので移籍のタイミングが難しく、チームがなかなか決まらなくて......。そんな中、クロッペンブルクというクラブから『夏からであれば契約できる』という返事が来ました。いったん帰国し、半年間は無所属で、レッズの練習に参加させてもらい、アルバイトもしながら準備を進めました」
2018年夏、当時ドイツ・ブンデスリーガ2部のBVクロッペンブルクに加入。クロッペンブルク郡は、ドイツ北西部ニーダーザクセン州に位置する、人口約17万人の地域である。
「クラブスポンサーのホテルの一室をセルビア人やアメリカ人の選手と共同で借りて生活していました。家族経営の小ぢんまりしたホテルで、その家族にもすごく良くしてもらい、朝夕の食事も出してくれて、とてもありがたかったです。言葉はあまりできなくてもチームメートは優しく接してくれました」
そこで経験したサッカーのスタイルは、日本とは全く異なるものだった。
「サッカーというよりも、"戦い"そのものという感覚でした。毎試合、むち打ちになりそうなほど当たりが強く、ドイツでプレーしたことで、すごくタフになったと感じています。戦術的な側面より、"個人で絶対に負けない"という意識は強かったですね。1対1で目の前の相手を抜くことや、ボールを奪うことが特に求められるような環境でした」
2019-20シーズンのウィンターブレイクで日本に一時帰国した際、所属クラブは財政難に陥っていた。さらに、2020年1月頃からは新型コロナウイルスの影響が重なり、チームの練習や試合が次々と中止となっていった。
先の見通しが不透明な中、家族とも相談し、ドイツには戻らず日本に残ることを決意する。2020年3月、ジェフユナイテッド市原・千葉レディースへの加入が決まった。
「当時、ジェフにいた大滝麻未さんが心配して連絡をくださって、チームにも話をしてくれたんです。なでしこリーグ開幕は2月でしたが、練習参加を経て加入が決まったのは3月でした。その直後にチームは活動を自粛し、リーグ開幕も大幅に遅れることになりました」
WEリーグ初年度の2021-22シーズンには、リーグ戦20試合に出場し6得点を記録した。
「6ゴール中、5点がヘディングでした。キッカーがいいところに蹴ってくれたので、自分はそれを決めるだけでした。当時は頭に当たったら入る、というような感覚がありました」
ジェフには5シーズン在籍。最も印象に残っているのは、今年5月に行われた大宮アルディージャVENTUS戦で目にした光景だ。
「やはり、新しい国立競技場でプレーできたことは忘れられません。男子とのダブルヘッダーで、2万人以上のサポーターの前での試合でした。国立のピッチに立てる機会はめったにないですし、特別な雰囲気を楽しむことができて、本当に幸せな時間でした」
「厳しい戦いになると思いますが、今からすごく楽しみ」

今年6月、ステラへの加入が発表された。新たなチームに入って感じたのは、その練習強度だった。
「ジェフに比べて練習強度が高く、チーム全体がよく走るプレースタイルだと感じました。カウンターが武器なので、ボランチの自分が攻撃にしっかりついていくことや、守備でもしっかり戻ることを、オガさん(小笠原唯志監督)から求められています」
開幕から3連敗と苦しいスタートだったが、第5節のちふれASエルフェン埼玉戦で今シーズン初勝利。第7節AC長野パルセイロ・レディース戦では今シーズン初の無失点勝利を飾った。
「どんな形でもいいから早く勝ちたいと思っていたので、ちふれ戦で勝てたときは、うれしさというよりも、ほっとした気持ちのほうが大きかったです」
第9節アルビレックス新潟レディース戦では、70分に長嶋のクロスに得意のヘディングで合わせて決勝ゴールを挙げた。
「もともとヘディングは得意です。『あれがゴールに入るのはすごいね』というような連絡を知り合いからいくつももらいました」
ステラでは伊東珠梨とボランチを組む。二人の役割の違いや日頃意識していることについて、こう語った。
「珠梨は守備的にバランスを取ってくれるタイプで、ピンチの芽を摘む落ち着いたプレーは自分にはない部分です。自分が積極的に前に出ていけるのも珠梨のおかげで、お互いのいい部分を出し合えていると感じています」
ステラ加入後、オフの日の過ごし方が少し変わった。チームメートと過ごす時間が増えたという。
「以前は一人で出掛けることが多かったですが、今は誰かと一緒によく出掛けています。先日も都内の温泉に行き、岩盤浴でデトックスをしてきました。試合や練習とは違い、ただ寝そべっているだけで汗が出てくるので楽ですね(笑)。夏休みには甥っ子が遊びに来たので、江ノ島水族館に行きました」
10月22日には、ホーム・相模原ギオンスタジアムで古巣ジェフ戦が控えている。当初は8月10日の今シーズン開幕戦で対戦する予定だったが、雷雨の影響により試合はキックオフ直前に中止となっていた。
「開幕戦の相手がジェフに決まったときは、"こんなことあるんだ"と思いました。古巣と対戦する開幕戦には絶対に出て勝ちたいという気持ちで、プレシーズンの期間もずっと準備をしてきました。まさかキックオフ直前に雷雨で中止になるとは思わなかったです。厳しい戦いになると思いますが、今からすごく楽しみにしています」
今シーズンは11試合を終えて3勝を挙げている。チームとしての手応えをこう捉えている。
「攻撃の質はすごく高くなっていると思います。一人で打開できる選手も多いですが、そこに2、3人が関わってサイドを崩してシュートを打っていきたいです。無失点に抑えた試合もありますし、守備陣も手応えを感じていると思います。攻守両面で良くなっていると感じます」
今まで支えてきてくれた方たちのために、岸川は戦い続ける。
「上位に食い込むためには、勝ちを積み上げることはもちろん、負けそうな試合を引き分けに持ち込むことや、引き分けそうな試合を勝ちに持っていくことがとても大事です。そういう部分にしっかりこだわって、戦っていきたいです」
プロフィール
岸川 奈津希
KISHIKAWA Natsuki
1991年4月26日生まれ、神奈川県横浜市出身
ヴェルディジュニア - 日テレ・メニーナ - 浦和レッズレディースJrユース - 浦和レッズレディース - マイナビベガルタ仙台レディース - BVクロッペンブルグ - ジェフユナイテッド市原・千葉レディース - ノジマステラ神奈川相模原 ノジマステラ神奈川相模原(2025/26シーズン~)
(文=大西徹・株式会社アトランテ)