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伊東珠梨選手インタビュー
ボランチでつかんだ確かな自信
4伊東珠梨
シーズン開幕からスタメンとして出場を続け、今やチームにとって欠かせない存在となった。正確なキックを武器に、ピッチ上で存在感を放つ。2021年の加入以来、着実に成長を遂げてきた背番号4が、これまでの道のりを振り返る。
「自分たちでメニューを組むこともあった」

2002年生まれ、三重県鈴鹿市出身の伊東珠梨がサッカーを始めたのは、小1の終わり頃。近所に住む男の子たちに誘われたのがきっかけだった。
「小1のときに小6の男の子と仲が良くて、その子の友達が6、7人いたんです。近所づきあいもあって、その輪の中に自分も入れてもらっていました。休み時間になると、よくその人たちの教室に遊びに行ったり、一緒にサッカーをしたりしていました。最初にサッカーが楽しいと思ったのは、その頃です」
小2で地元の若松SCに入り、サッカーに夢中になっていく。当時のチームに女子は2人だけ。一人は伊東、もう一人は2歳上の姉だった。
「自分が先にチームに入って、姉は後から入ってきました。姉がどんな気持ちで始めたのかは分かりませんが、女子が自分たち2人だけでも、いつも一緒にいてくれたので心強かったです。チームは自由な雰囲気で、監督が来られない日もあって、自分たちでメニューを組むこともありました。メンバーはみんなうまくて、けっこう強いチームだったと思います」
小4の頃はFWでプレーすることが多く、小5の途中からセンターバックを任されようになる。ナショナルトレセンU-12東海でも、FWとセンターバックの両方を経験した。
若松SCやトレセンでの活動に加えて、小4からはFCグランリオ鈴鹿のスクールにも通い続けた。
「グランリオのスクールはすごく厳しくて、いろんなことが身についたと思います。周りは男子ばかりでプレースピードが速く、ミスをしてしまうことも多くて、ボールを受けるのが怖い時期もありました。でも、『ここはこうしたらいい』と教えてくれるチームメートもいて、そういう環境が自分にとってプラスになりました」
「最後まで続けたからこそ、今がある」

2015年、中学進学と同時に、ジュニアユースチームのFCグランリオ鈴鹿に1期生として加入。男子に混じって厳しい環境に身を置きながら、経験を積み重ねていった。
「中3くらいになると、男子との力の差を感じるようになりました。練習について行くのに必死で、正直きつかったですね。途中から新しいコーチが入ってきて、左サイドバックやサイドハーフを任されるようになり、動き方やポジショニングのコツを少しずつ身につけました。後輩が入ってきてからは、1期生としてチームを一つでも上のリーグに昇格させるために、みんな全力で取り組んでいました。グランリオで最後まで続けたからこそ、今があると思います」
中学生の頃には、JFAエリートプログラム女子U-13/14のメンバーにも選ばれ、同年代の選手たちから多くの刺激を受けた。
「カテゴリーが上がるほど、うまい選手ばかりでした。今WEリーグで活躍している同級生の育(築地育)や楓菜(柳瀬楓菜、サンフレッチェ広島レジーナ)も一緒でしたね。女子だけの環境だったので、のびのびとサッカーを楽しめました」
卒業後の進路を決めるため、大阪の大商学園高校の練習に参加し、自らの力を試した。
「小学校のトレセンで一緒だった一つ上の先輩が大商に行っていて、さらにその上にも三重出身の人がいました。監督に『大商に行きたいです』と伝えた翌日の夜、電話がかかってきて、『体験に行ってこい』と言われたんです。その翌日、ちょうど大商が滋賀に遠征に来ていて、場所が近かったので、迷うことなくその遠征先に行きました」
「副キャプテンになってから、やっと自覚が持てるようになった」

2018年、大商学園高校に入学すると、女子サッカー部での活動と寮生活が始まった。
ところが入学直後、疲労骨折に見舞われる。その結果、インターハイ(全国高等学校総合体育大会)につながる予選への出場はかなわなかった。
ケガから復帰後、伊東は1年生ながらレギュラーの座をつかむ。背番号は3、ポジションはセンターバックだった。
高校3年間で最も悔しさを味わったのは、3年生の最後に出場した全日本高等学校女子サッカー選手権大会だ。準決勝で岡山県作陽高校と対戦し、PK戦にもつれ込む。1人目のキッカーを務めた伊東は、そのPKを決められなかった。
「高校に入ってからは、選手権でも他の大会でも一度も外したことがなかったので、本当に悔しかったです。たぶんどこかで油断していたんだと思います。ステラに来てからPKを蹴ったことはないですが、もし自分がPKをもらったら、迷わず自分で蹴ろうと思っています」
そして、「一番うれしかった思い出も、その選手権です」と伊東は笑みをのぞかせる。前橋育英、日ノ本学園、常盤木学園といった強豪校を次々と破り、準決勝まで勝ち進んだ。
「インターハイでは、高1のときは予選で負けて、高2のときは初戦敗退、高3のときは新型コロナウイルスの影響で大会自体が中止になってしまいました。そういう悔しさもあった中で、自分は副キャプテンでしたが、下級生たちも付いてきてくれて、チームが一つになって選手権に臨めたと思います。1回戦から強豪との試合が続きましたが、一つずつ勝ち進んで、ノエビアスタジアム神戸でみんなと試合ができたことがうれしかったです」
高校3年間で特に成長した部分について、彼女はこう振り返る。
「自分は人間性の部分で、王様気分でとがっていて...(笑)。高1で試合に出るようになってからは特にひどくて、『全部自分に合わせろ』というタイプでした。周りの選手にもきつく言っていたので、たぶん誰も一緒にサッカーをしたくなかったと思います。高2の選手権後、先生に呼ばれて『おまえをキャプテンにするか考えたけど、副キャプテンにする。チーム全体を見て、自分の悪いところを直せ』と言われました。高3で副キャプテンになってから、やっと自覚が持てるようになり、周りを見る余裕も出てきたと思います。最高学年としてしっかりしないといけない、このメンバーで勝ちたいという気持ちも強くなりました」
「どちらも、みんなの思いが乗って入ったゴールだった」

2021年、ステラでの新たな挑戦が始まった。リーグ戦の出場記録を振り返ると、1年目の2021-22シーズンは18試合、2年目は16試合、3年目は17試合と、着実に経験を積み重ねていることが分かる。そして4年目となった昨シーズンは、キャリア最多の22試合に出場した。
「最初は不安もありましたが、みんな優しかったですし、1年目からセンターバックやサイドバックとして試合に出ることができました。WEリーグはレベルが高くて、高校のときにできていたことが全然通用せず、すごく悩みましたね。でも、シーズンを重ねるうちに、そういう悩みも前向きに受け止められるようになりました」
転機が訪れたのは、3シーズン目の前半戦が終わった頃。小笠原唯志監督がチームの指揮を執ると、伊東はそれまで経験のなかったボランチとしての役割を託される。2024年3月の第10節三菱重工浦和レッズレディース戦でスタメンに抜擢されたものの、結果は0-5の大敗だった。
「ボランチはセンターバックとは違って、前後左右どこからも相手が来るので、常に周りを見ていないといけません。でも、最初はうまくいかないことばかりで、自信をなくしました。ボールを失うことを恐れていたらボランチなんてできません。最近ようやく守備やビルドアップの感覚もつかめてきて、今はボランチの楽しさを感じながらプレーできています」
今シーズンの第7節AC長野パルセイロ・レディース戦では、ロングシュートでゴールを決め、月間ベストオフェンス賞に輝いた。同時期に、同じボランチの岸川奈津希がダイビングヘッドで決めたゴールとは対照的な、鮮烈な一撃だった。
「あんなにメッセージをもらったのは初めてです。『おめでとう』とか『すごい』とか、本当にたくさんいただきました。奈津希さんのゴールとは全然タイプが違いますが、どちらもバーに当たっているんですよ。どちらもみんなの思いが乗って入ったゴールだったと思います」
遠い位置からでも、打てば何かが起こるかもしれない。そう信じて、伊東は積極的にシュートを打つことを心がけている。
「遠めからのシュートは入らないことのほうが多いですし、1回の攻撃を無駄にしてしまうかもしれません。でも、自分は打ちたいと思ったら打ってしまうタイプなので、その分、責任を持たないといけない。そういうゴールを決められる選手になりたいです」
「自分にとっては本当に大きな存在」

オフの日は、都心近郊のアウトレットに足を運んで買い物をするのが好きだという。ただし、自分のものを買うことはあまりないそうだ。
「南大沢、町田、平塚、御殿場......アウトレットってけっこうありますよね。どのお店も安いから、ついつい買ってしまいます。最近は自分のものより、甥っ子のものを買うことが多いです。姉と定期便みたいに送り合いをしていて、甥っ子へのプレゼントを送ったりしています」
伊東にとって、姉の存在は何よりも大きい。彼女の人生において、かけがえのない精神的支えとなっている。
「姉はいつも応援してくれています。高校に入る前はよくけんかもしましたが、離れて暮らすようになってからは何でも話せる関係ですし、自分にとっては本当に大きな存在です。自分はお母さんがいないので、父と姉と3人で暮らしていた頃から、姉はお母さんのような存在でもありました。自分のサッカーを優先してくれていた分、我慢していたことも多かったと思います。今は毎日連絡を取っていますし、姉のことは本当に大好きです」
ボランチとして、これからどんなプレーを見せていきたいのか、伊東は静かに、しかし力強く語る。
「ボランチは攻守の両方に関わるポジションです。攻撃では、得点につながるプレーや自分自身のゴールをもっと増やして、チームに勝利に貢献したいと思っています。守備では、危ない場面をしっかりカバーして、周りを動かすことも意識したいです。今まで個人としてあまり結果を残せなかったので、これからはチームの勝利に貢献できるよう全力で頑張りたいです」
プロフィール
伊東 珠梨
ITO Juri
2002年10月2日生まれ、三重県鈴鹿市出身
若松SC - FCグランリオ鈴鹿 - 大商学園高 - ノジマステラ神奈川相模原(2021/22シーズン~)
(文=大西徹・株式会社アトランテ)