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井上陽菜インタビュー
支えてくれた方たちへ、恩返しになるように

3井上陽菜

大阪で兄たちとボールを追いかけ、セレッソ大阪堺レディース(現セレッソ大阪ヤンマーレディース)で9年間を過ごした井上陽菜。喜びも悔しさもひとつずつ積み重ねてきたその歩みは、確かな技術と冷静な視野を育んできた。

大学3年でノジマステラ神奈川相模原に加入してからは、新たな環境の中でポジションを変えながら、自分に合った役割を模索する日々。どんな経験も無駄にはせず、今では"予測して走る"という持ち味を発揮し、チームの力になっている。そんな彼女が、これまでの歩みと、これからの挑戦について語ってくれた。

「チームで一番背が高く、キック力も一番あった」

井上は1999年生まれ、大阪府摂津市出身。サッカーを始めたきっかけは、2人の兄の影響だった。兄たちが通っていた摂津イレブンJSCに、自然と加わることになった。

「チームには当時、4つ上に女の子が1人いるだけで、小3からはずっと女子1人。でも、楽しかったです。父がチームのコーチをしていて、けっこう厳しかったですね。フリーキックやコーナーキックも任されていて、全部自分が蹴っていました。小6の頃は153センチくらいでチームで一番背が高く、キック力も一番あったと思います」

サッカーと並行してフットサルにも取り組み、足元の技術を磨いた。

「小3のときからフットサルもやっていて、それが大きかったと思います。スペースがなくても、立ち位置を考えて、足元の技術を生かしてプレーしていました。かなり厳しいチームで、課題をクリアできないと、練習のグループ分けに影響する。上のグループで練習をするために、必死に課題を取り組んでいました」

小6になると、女子の大阪府トレセンと男子の三島地区トレセンにも参加。活動の幅が一気に広がり、多忙な毎日を過ごしていた。

「月曜は女子のトレセン、火曜はフットサル、水曜はサッカーチームの体育館練習、木曜だけ何もなくて、金曜は男子のトレセン、土日はサッカーチーム。とにかく忙しかったです。小6の全日本(少年サッカー大会)の大阪大会では、ベスト32をかけた試合で強いチームと対戦し、ボロ負けしたのを覚えています」

その活躍の場は関西だけにとどまらなかった。

「大阪府トレセンで神奈川の大会にも出場しました。当時は『大阪が一番強い』って言われていたんですが、どの大会でも準優勝ばかり。神奈川でも準優勝でした。その頃はチームではボランチ、トレセンでは背が高かったのでセンターバックもやっていました」

「自分の声がスタジアムに響いていたと思う」

中学進学を控えた頃、井上はセレッソ大阪堺レディースのセレクションに挑んだ。会場はJ-GREEN堺。緊張感に包まれたその日を、今も鮮明に覚えているという。

「セレクションは3次まであって、すべて試合形式でした。特に1次は人が多くて、"とにかく目立たないといけない"と思って必死でした。合格の連絡は母に届いたんですが、自分はそのとき試合に行っていて。母からではなく、試合会場にいた友達のお母さんを通じて合格を知りました」

2012年にセレッソへ加入。振り返れば、中学時代はポジションの幅を広げられたことが大きな経験となった。

「中1のとき、チャレンジリーグ参入戦に途中から出場して、その試合に勝って参入が決まりました。最初の頃はサイドバックとしてプレーして、中2からはボランチも任されるようになって。いろんなポジションを経験できた中で、一番楽しかったのはやっぱりボランチでした」

2016年10月、高2のときには、なでしこリーグ2部でステラと対戦。ステラが1部昇格を決めた試合だった。

「目の前で優勝を見たくないから、絶対に勝ちたいと思っていました。自分はサイドバックで出場して、試合は1-1の引き分け。試合後に行われたセレモニーの光景は今でも覚えています。アリさん(南野亜里沙)やハルさん(川島はるな)は、当時から有名でしたね」

一番悔しかった思い出は、高3の冬、2018年1月に行われた全日本女子ユース(U-18)サッカー選手権大会の決勝でジェフユナイテッド市原・千葉レディースU-18に敗れ、3連覇を逃したことだ。

「自分たちは3期生で、高1のときに3学年そろって初めて全国大会に出て、そこから2連覇を達成していたんです。だからこそ、高3で準優勝に終わったのは本当に悔しくて。記録がそこで止まったのが、余計に残念でした」

一方で、セレッソ時代で最もうれしかったのは、2020年7月のなでしこリーグ1部・伊賀FCくノ一三重戦。ヤンマースタジアム長居でのホームゲームで、2-1の勝利に貢献した。

「自分は1得点1アシスト。無観客試合だったので歓声こそありませんでしたが、すごくうれしかったです。たぶん、自分の声がスタジアムに響いていたと思います(笑)」

「ボールをつなぐサッカーならやれると感じられた」

2021年1月、井上のステラ加入が発表された。当時は大学3年生。サッカーと両立しながら、オンラインで大学の授業にも真摯に取り組んでいた。

しかしその半年後、大きな試練が訪れる。2021年7月、左膝を負傷。WEリーグの開幕を目前に控えながら、長いリハビリ生活に突入した。

「ここ(ノジマフットボールパーク)でリハビリを続けながら、週に1回は戸塚の病院に通っていました。片道で1時間ちょっと、帰りは渋滞に巻き込まれて2時間近くかかることもあって。あの頃は、美友香さん(畑中美友香/2023年引退)が車に乗せてくれて、帰りに一緒にご飯を食べるのが楽しみでした」

ケガから約10カ月後の2022年5月、第20節INAC神戸レオネッサ戦で、ついにWEリーグの舞台に立つ。

翌22-23シーズンは、WEリーグ12試合、WEリーグカップで2試合に出場。ポゼッションサッカーを軸とする菅野将晃監督のもとで、自分の役割を少しずつ見つけていった。

「サイドバックで出ることが多かったです。ポゼッション重視のスタイルだったので、走るのが速くない自分でも、ボールをつなぐサッカーならやれると感じられました。試合に出られた分、楽しさも感じられたシーズンでした」

続く23-24シーズン、前半戦は思うような結果を残せず、2024年2月から小笠原唯志テクニカルダイレクターが監督代行として指揮を執ることに。第8節以降の井上の出場はWEリーグで3試合と限られた。

その後、井上はサイドバックからボランチへとポジションを変える。転機となったのは、監督や強化部スタッフとの会話だった。

「サイドバックで練習試合には出ていましたが、自分はスピードがないので、チームが目指すサッカースタイルを考えると"このままでは厳しいな"と思っていました。オガさん(小笠原監督)は、自分のことをサイドバックしかできない選手だと思っていたみたいで。でも、強化部の方が『陽菜は他のポジションもできる』って言ってくれて。自分も『一番楽しいのはボランチです』と伝えたら、『ボランチで行こう、その方がいいな』って言われました(笑)」

「皆さんの前で初ゴールを届けられるように」

3月、リーグ戦が再開された第12節大宮アルディージャVENTUS戦。井上はスタメンに名を連ね、64分までプレーした。

「緊張はあまりなく、試合に入れました。攻撃の形も作れていて、あとは決め切るだけという場面が多かったです。それが前半戦からの課題だったので、変えたかったですね。負けてしまいましたが、チームとしては自信を得られた試合でした」

そんな井上が目標とするのは、川崎フロンターレの大島僚太選手。プレーを見るたびに刺激を受けているという。

「あのプレーをまねしたいです。相手の動きをすべて把握して、"そこに出す? そこが見えていた?"というようなプレーをするのですごいなって思います。Jリーグの試合はよく見に行きますし、この前はSC相模原のルヴァンカップの試合も観戦しました。中盤の西山拓実選手は自分と同じで小柄で、足元がしっかりしていて、小さくてもできると改めて思いました」

ステラに加入して4シーズン目。井上がプレーの中で特に注目してほしいのは、予測して走り出す動きだ。その意識は、今では守備面にも広がっている。

「これまでは攻撃で、ここに来るだろうと予測して動くことが多かったんですが、最近は守備でもそれを意識するようになりました。麻友さん(大竹麻友)たちが前線からプレスをかけてくれるおかげで、次のパスコースを絞りやすくて、自分もボールを奪いやすくなっています」

今シーズンは残り5試合。4月19日にはホームで古巣のセレッソ戦が控えている。

「スタートから出たいという気持ちは強いです。出場できたら、攻撃のリズムを作って、ゴールにつながるプレーをもっと増やしたいと思っています。やっぱり、ピッチでプレーを見せることが、一番の恩返しになると思うので。まだWEリーグで得点を決めたことがないので、皆さんの前で初ゴールを届けられるように頑張ります」

プロフィール

井上 陽菜
INOUE Hina

1999年9月16日生まれ、大阪府摂津市出身
摂津イレブンJSC - セレッソ大阪堺レディース - ノジマステラ神奈川相模原(2021-22シーズン~)

(文=大西徹・株式会社アトランテ)