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平田ひかりインタビュー
逆境を乗り越え、今を全力で
7平田ひかり
持ち前の走力と献身的なプレーで中盤を支える平田ひかり。2019年に日体大FIELDS横浜からノジマステラ神奈川相模原へ移籍し、新たな挑戦をスタートさせた。しかし、バセドウ病を発症し、長期離脱と手術を経験。それでもサッカーへの情熱は揺らぐことなく、復帰後はチームに欠かせない存在となった。逆境を乗り越えた今、彼女が語るこれまでの歩みと未来への抱負。
「あの時期に頑張ったからこそ、今の自分がある」

1995年生まれの平田は、熊本で幼少期を過ごし、体育幼稚園に通った。サッカーやトランポリン、跳び箱など、さまざまなスポーツに親しみながら、体を動かす楽しさを自然と身につけていった。
その後、親の転勤で福岡へ。小学校入学と同時に、兄が所属していた新宮FCジュニアに入り、本格的にサッカーを始める。最初はDF、4、5年生からはボランチとしてプレー。そんなジュニア時代の中で、今も忘れられない思い出がある。
「フェリーで奈良の大会に行ったとき、雨が降ってすごく寒かったんです。保護者の方々が風邪をひかないよう、ポリ袋の一部を切ってユニフォームの下に着る簡易インナーを作ってくれました。それは今でも印象に残っています(笑)」
また、幼い頃から持久走が得意で、幼稚園年少から小5まで持久走大会では常に女子の中で1位だった。
「持久走大会って、全力で頑張る子は少ないですよね。でも私は、早く終わらせたくて全力で走っていました。走れることに損はないし、やっぱり走れたほうがいいですよね。そういえば、小6の持久走大会は福岡からディズニーに遊びに行っていたので、記録なしです(笑)」
2008年、中学に進学すると、まずは学校のサッカー部に入部。男子に混じってプレーしながら、日々鍛えられていった。
中学2年で福岡J・アンクラスユースに加入し、高校生と共にプレー。試合経験を積みながら、地域のトレセンにも参加。中学3年にはアンクラスのトップチームに登録され、なでしこリーグの舞台に立つチャンスを得た。
「ユースの練習は18時、トップチームは19時からでした。特に火曜日は走り込みの日で、ユースで1時間走った後、トップでも走る計3時間のメニュー。あの時期に頑張ったからこそ、今の自分があると思っています」
2011年、高校1年時に、なでしこジャパンがFIFA女子ワールドカップで優勝。なでしこリーグで間近に見ていた選手たちが世界の舞台で活躍する姿に、大きな刺激を受けた。
「インカレ優勝も経験し、自信につながった」

2014年、高校卒業後、平田は12年間過ごした福岡を離れ、日本体育大学へ進学。当時、日体大はチャレンジリーグ(なでしこリーグの一つ下のカテゴリー)で戦い、2学年上には現在のチームメート・長嶋洸が在籍していた。
「日体は大学日本一の実績があり、インカレ優勝回数も最多。当時の監督の指導を受けたいという思いもあり、進学を決めました。新しい環境で不安もありましたが、FWやサイドハーフとして試合に出場し、インカレ優勝も経験し、自信につながりました」
2018年、日体大FIELDS横浜はなでしこリーグ1部に昇格。平田は卒業後もチームに残り、1学年下の大賀理紗子らと共にプレー。同年5月に行われたステラ戦では58分に途中出場し、ゴールを記録。この試合、ステラのスタメンには久野吹雪、川島はるな、南野亜里沙らが名を連ねていた。
「日体では5年間プレーしました。当時のステラは、とにかくアグレッシブで、攻守に全力を尽くすチーム。全員がひたむきに走り、それぞれの役割を全うしていました。他のチームでは守備をさぼる選手がいることもありましたが、ステラにはそういう選手がいなくて、本当にすごいチームだと感じていました」
「サッカーができることの幸せを実感した」

2019年、平田はステラに加入。それまでなでしこリーグ1部で対戦していたチームで、新たな挑戦をスタートさせた。ちょうど大賀も卒業のタイミングで、一緒にチームに加わった。
しかし、平田は加入直後の練習試合で相手の足を踏み、骨挫傷のような捻挫を負う。痛みで立ち上がれず、手押し車で運ばれるというアクシデントに見舞われた。復帰まで2カ月を要し、思うようなスタートを切れなかった。
ケガを乗り越えピッチに戻ると、ステラの一員として勝利を求める中で新たな課題に直面する。
「周囲に合わせるプレーが得意でしたが、それだけでは通用しないと実感し、もっと1人で打開する力を磨かなければいけないと思いました」
2021年9月、WEリーグが開幕。平田は前半戦9試合に出場するも、翌年1月にバセドウ病と診断され、長期離脱を余儀なくされた。後半戦は試合に出場できず、苦しい時間を過ごすことになった。
「開幕当初から体に違和感があり、試合を通して体力が持たない感覚がありました。病院を受診すると、バセドウ病と診断されました。今思えば、よくプレーできていたと思いますし、もっと早く受診していればとも感じます」
2022年8月、22-23シーズンのWEリーグカップが開幕。平田は8月・9月に計4試合に出場し、10月に始まったWEリーグでも12月・1月に計3試合に出場。しかし、体調を考慮し、1月下旬に手術を行うことを決断。手術翌日にはクラブからも公表された。
「離脱と復帰を繰り返す中で、選手としてサッカーを続けるには手術しか選択肢はなく、最終的に手術をすることにしました。今も3カ月ごとに通院し、毎朝ホルモン剤を飲んでいますが、副作用もなく、普段どおりの生活ができています」
2023年4月、ついに復帰。22-23シーズンはWEリーグ9試合、WEリーグカップ4試合に出場し、ピッチに立てる喜びをかみしめた。
「サッカーができることの幸せをあらためて実感しました。健康が何より大事。多くの人は年齢を重ねてから気づくことですが、若いうちにその大切さを知ることができたのは、大きな経験になりました」
「バランスを見ながら攻撃に絡んでいきたい」

23-24シーズン、平田はWEリーグ21試合、WEリーグカップ5試合に出場。ボランチとして新たな役割を担い、確かな存在感を示した。
「小学生以来のポジションでしたが、やるからには自分にできることを最大限発揮しなければいけないという使命感を持っています。オガさん(小笠原唯志監督)にとってボランチは重要なポジションで、求められる役割も多いです」
指揮官の厳しい要求は、それだけこのポジションがチームにとって重要だからこそ。平田もその期待に応えるべく、日々奮闘している。
「守備力を評価されている以上、そこは誰にも負けられません。予測やインターセプト、プレスバック、球際の強さなどは意識しています。もちろん、攻撃の面でももっと改善していきたいですね」
今シーズン、ステラの中盤は、ボランチ2枚の形と、アンカーを置いた3人の形を併用。それぞれの特徴について、平田はこう語る。
「フォーメーションによって、前線との連携の仕方も変わってきます。右シャドーとしてプレーした試合では、攻撃に関われて楽しかったですね。2ボランチのときは前に出る機会が限られますが、バランスを見ながらチャンスがあれば攻撃にも絡んでいきたい。どのポジションでも、与えられる役割をしっかり果たすことが大切です」
そして2024年11月17日、平田にとって忘れられない瞬間が訪れる。ちふれASエルフェン埼玉戦の開始3分、自身のWEリーグ初ゴールでステラが先制した。
「びっくりしました。トラップで相手を外せたのが大きかったですね。決めた後、すぐにみんなが駆け寄ってくれて、すごくうれしかったです。ただ、勝ちたかったですね(結果は2-2)。これからも攻撃に絡んでいきたいです」
24-25シーズンの後半戦が始まり、3月16日にはホーム・相模原ギオンスタジアムでAC長野パルセイロ・レディースとの一戦を迎える。幾度もの逆境を乗り越えてきた平田は、今も変わらず全力で戦い続ける。
「3月16日は絶対に勝ちたいし、内容にもこだわりたい。そうすれば、『またスタジアムで見たい』と思ってもらえるはず。クラブをもっと盛り上げるために、与えられた役割を全うしたいです」
プロフィール
平田 ひかり
HIRATA Hikari
1995年5月25日生まれ、福岡県糟屋郡出身
新宮FCジュニア - 福岡J・アンクラスユース - 日体大FIELDS横浜 - ノジマステラ神奈川相模原(2019シーズン~)
(文=大西徹・株式会社アトランテ)